今回も、興味本位、私も気になったからと始めてみる。
昔じゃ、黒歴史に残るから。とやらなかった事を去年、今年と色んな所で縁と繋がりを得てさせて頂いている。きっと3年前の私が聞いたら、驚いて『有り得ない』と言うだろう。
人は、出会う人と場所、機会と縁。それが、誰であるかによって、人生が変わるのだな。そう最近思っている。
私の場合は、運が良い。そう思ってしまう程に、周りの人達には恵まれている気がする。ここからは、ぐだぐだと身の上話ばかりになってまう事を許して欲しい。
ネット上での繋がりや、交流は、今居るジャンルでしかしていないが、殆どの方が手を貸しあって、褒め合って、喜び合っている。きっと、それは他のジャンルでも勿論ある事だが、このジャンルは特に愛され、皆が愛を持って好きだと発信しているからなのだろうな。と思っている。ダメな時や事柄は優しく理由と事例を述べて伝えている気もするし、色々と対処する術をちゃんと見極めて実践している人も多い気がする。長く培われたそれらがあってか、分からないがこのジャンルは作品含め、フォロワーさんと話していて居心地がいいと私は思っている。フォロワーさんと繋がる事を通じて、同人誌を作る事に誘われたり、遊びに出掛ける時に一緒に出掛けるなんて機会も増えた
実際に明日も相互さんとコラボカフェの後半に行く事が出来る。文字でしか会話のした事が無い方と会う。それはそれで毎回緊張するが、楽しみの方が何倍も強く勝っている。本当に楽しみだ。……メリカのミニアクスタ当たるといいな…と思いつつ財布を握りしめ明日は向かう予定だ。
今は少し緩くなったが、私は小学生の頃に持病を持ってから「1人で行動するな」そう、親に言われていた。それは、担当医があれはダメ。これはダメ。と会う度に口にする方だったからかもしれない。実際は、『気をつけて行動してね』が、一つ括りで『してはダメ』に変わっているのだ。言葉は難しい。そう、小学生ながら感じていたのをよく覚えている。
人は、当たり前に出来ていた事と将来したい。行ってみたい。と思っていた事や場所に私には出来ないんだ、行けないんだ。そう思うと、本当に籠の中に閉じ込められた人の様な気持ちを味わうらしい。ただ、そんな状態でも、周りに居る人に救われる事はある。
家族は皆明るい人だった。私とスペース等で会話した事がある方は、私の喋る時のテンションを知っているかもだが、楽しむ時は楽しみ、巫山戯ては笑い、大事な時はくどい程に話し掛けてくれる。そんな親と、今居るジャンルで例えるなら、悪友の様に揃えば、馬鹿やって歌って巫山戯て笑う。そんな姉と妹が居る。そう、良い面だけを伝えるなら煩い家だ。
そんな人達と同じ部屋に居れば、自分が人として存在する事に疲れ、この世を去ろうとした時も、何も言わず唯何時もの様に気にかけては笑いを振りかけてくれる。
私は、高校の時少し特殊な所に通っていた、そこの生徒は皆が皆何か事情を抱えていて、私の家みたいに明るく仲の良い家族など1人2人か居る程度だった記憶だ。それは、ネットの知り合いの方もそうで、私が家族の話を少しすると『私の所と真逆だ』そう言葉を聞く。その言葉を聞く度に、私がもし、自分の家族と真逆の家に生まれたなら、どうなっていただろう。そう考える。
話が少しずれたが、あれもダメ、これもダメ。そう言われ人生の半分を生きてきた私は、ここ数ヶ月。
「今までやりたかった事」
を出来ている気がする。きっと、それはなんなのか?と家族やみんなに言われたら『当たり前』のこと過ぎて「そんな事で?(笑)」と言われるかもしれない。
でも、私にとっては、出会いがあって行動できた事と、手に入れる事が出来た事がある。その、行動にある過程が、今まで私はダメだと言われ、諦めていた事に繋がる事だったりするのだ。
長々と書いてみて、何を書きたかったのか分からなくなってきた上に、載せるのも躊躇い始めたから終わりにしようかな。
きっと、続きを書く事があったとしたら、こんな感じで数ある人間のうちの一人である私の身の上話と、今では笑い話だが。という話を書くだろうが、こんな人も居るんだな。という気持ちで良ければ見てやって下さい。