何故、日常の貴重な時間を割いて迄、二次創作として、絵を書いて、字を書くのか。
そう誰かに聞かれた事はありますか?
私は一度、非オタの同僚に言われた事があります。
こう尋ねられた時、「これは、好きなものを愛でて、妄想する中で、読みたいが生まれて、それらを吐き出す、共有する1つの手段だと思うから、私が好きで自己満足でやってるだけだよ」
そう説明が出来たらいいですよね。
実際はこの言葉の続きの言葉があり、
「その時間とお金で、他にゆっくりしたい事して遊べるじゃん」
そう彼女は口にしていました。その言葉に私は何も言い返せず「趣味のひとつですよ、楽しいから良いんです」と短く返事を返した。
きっと、私が別の同僚(別界隈で創作やコス少し嗜む方)と話していたのを又聞きしてて、気になったから聞いたのだろう。彼女の歳も私の母と同じ位で、彼女からしても私は彼女の娘と同い年位らしい。そんな子に、毎週末何をしているのかと聞けば、家に篭って「映画を見ている」「絵を描いている」と口にするのが気になったのだろう。「その年ならもっと、外出て遊ばなあかんわぁ」とも笑いながら言う彼女に対して、端的に余計なお世話だと思った時もある。
そう言われて遊びに行けるなら、私は一人旅でも何でも推しの聖地巡礼や、概念を感じては、電車に揺られてどこかへと赴いている。
さて、創作をするきっかけは、誰にだってあると思う。
「描いてみたかったから」「周りが書いてたから」「この熱量をどうにかしたかったから」「面白そうだったから」
根底にあるのは皆「これを描きたい、作りたいから」だと思う。
私も実際に、「創作」というのは昔から身近にあった。姉も母も絵を描くのが好きだったからだ。発想力の良い二人は、スラスラと可愛い絵本の様な絵を描く人達だった。
それに比べ私は昔からその発想力が無く、動きも世界観も無い。無機物がそこに置かれたかの様な絵しか書けなかった。
そのせいか中学生時代は絵といっても、二次創作などの絵は滅多に書かずに、書いても好きなキャラのマークや帽子等だったり、机の上にあった消しゴム等の無機物をスケッチするか、棒人間を走らせるかといった、皆が一度はした事があるかもしれない事を永遠にしていた。部活でも、絵は書かずに姉に影響されてしていた切り絵といった、周りとは少し違った事をしていたのを覚えている。
そんな中、中学の時の同級生に一緒に二次創作の小説を書かないか?と誘われたのが、私が二次創作の小説というものに初めて触れた瞬間だった。
私は高校二年になる迄、携帯を持たせて貰えなかった。それ迄はどうしていたのかと聞かれれば、母の携帯を少し貸してもらうという事だった。その為、二次創作というものに触れる機会は無く、存在は知っていても詳しくは知らない状態だった。
その子の話を聞けば、今では黒歴史の一つの作品である夢小説を書きたいと言われた。当時、同じ作品を好きな人と初めて出会ったという彼女は、私が書いたのも見たいと口にしたのだ。夢小説自体何なのか分から無い私に、何か説明をしようとした彼女は「未だやった事無いけど、乙女ゲームの様な感じだよ」と振り絞った説明をしてくれたのもよく覚えている。
その時の私は、好きなキャラの絡み等の妄想は考えた事があるが、そこに自分の様な人間が間に入るという事を考えた事も無く、頭の中は宇宙猫だった。
そんな彼女に言われるがまま書いた小説も、今は何処に沈んで行ったのか…ペンネームも題名も思い出せない。思い出さない方が良いと鍵を掛けている気もする。…そんな事もあったなと思いつつ、私が二次創作の小説に触れ、描くという始まりはそこからだった。
しかし、その一本を書いてから他の作品小説を書く事は無く月日は流れ、私はいつの間にか絵を描き続けていた。
何故こんなにも長く絵を描き続けているのか、そう私に聞けばどう答えるか。
「楽しいから」「面白いから」「時間を忘れる事ができるから」
絵を書くには勿論時間がかかる。私は気がつけば同じ姿勢で5時間も時間が経っていた等ざらにある。だからこそ、冒頭に言った様な台詞を言われるのだろう。
嫌な事があった時や、何でもいいから何も現実の事を考えない様に好きな事をしたい。
そんな日に、人はどこか遠くに出かけるか、友人と遊んだり、相談したりとするかもしれない。だが、私には創作しか無いのだ。
自分の感情を人に伝えるのが苦手。それもあるが、相談したり口にした後の事を考えると蘇るトラウマというものが私にもある。
人間って難しい。
そう私は何時も思っている。そんな中でも、絵や文字は、人の感情や、感じてる事、思った事を書き出すことが出来たり、逆に無意識に映し出される事もあるらしい。…そう、その実力があれば…(実際には難しい)
キャラに、自分の感情を反映し過ぎるな。
これは、私が何時も頭の隅に置いている事。
何かを書く時、私はその時のキャラはどんな感情なんだろう。そう考えて書いていく。メリカだったら、この時は笑うかな。イギだったら泣いてキレるな。お兄さんだったら…そんな感じで話を進めて行くのだ。
昔の文豪もまた、当時の抱えていた感情や、環境を、文字に書き起こし命を注いだ。というのを昔に見かけた事がある。それと同じにしては行けないが、創作する人達には矢張り共通点というものが存在するのかもしれないと、私は勝手に思ってしまった。
何故突然こんな事を描き始めたのか。それは、今私が『創作をしていない私って本当に無なんだな』と感じているからだ。
ここ数日、疎かにしていた事が積み重なり、ツケが回ってきたかのように体調を崩している。
6月の原稿を抱えている中、あと一歩で漫画は仕上がるのに最悪だな。なんて思いつつも、4月13日締切と書かれたカレンダーをさっきは見ていた。(早割りを使いたいのと、印刷所の混雑を避けたいが為にこの日程)
何か物事を考えると、絵を描こうとするなら、文字を打とうとするなら頭痛と、ふらつきが現れる。今は少しマシになったからこうやって、思った事を文字として打ち込んでいる。
昨日、誕生日を皆さんから祝って貰い、幸せだな……と感じるまでの数日迄、私はさっきの事を思っていた。木曜日辺りから体調を崩し、携帯もろくに触れず唯、天井を見上げるか、隣に座っている妹と戯れるか、しか出来なかった。
数日も創作をしない日なんて何時ぶりか。とさえ思った。
創作をする事を現実逃避と言ってはいけないが、私はそれ程に自分が、絵を描き文字を書くことによって楽しいと思える事が、今の私にとって大事だったんだなと思わせた。
題名にした「何故書くのか」その理由は、「唯、描きたいから」の理由の他に私はこう思ってたんだ。と感じさせたからだ。
この数日、何も無い。唯、妄想もろくに出来ない私が考えてしまう事など、ろくでもない事ばかりだった。
周りのみんなは偉いな。同年代なんて、今年から社会人だ。私がお先真っ暗で、社会の一人として歩けなくなった歳に妹がなっている。この数年で、私は何が成長したかといわれたら、暗闇の中で倒れていたところ、起き上がる事に成功して、歩いて、歩いて前を向けるようになったぐらいだ。なんて、思っていた。だが、今は、この数ヶ月は少し違う。
昔までは怖いと思っていたネットで、一緒に笑える人達に出会えた事。
皆が皆良い人じゃない。これはどこに行っても同じだ。だが、私の周りで繋がってくれてる方や、お話してくれる方は、皆揃って、一緒に楽しみ、笑い、好きな事に全力で共感してくれる。
病院の先生にも、家族にも、久しぶりに会った知人にも「笑顔が増えて、戻って良かった」なんて、言われた位には、今の私は元気なのだと思う。
辛い日も、楽しい日もある。無理に笑わなくていいし、無理に楽しまなくていい。でも、笑う時は笑って楽しむ時は盛大に楽しむ。
これは、私が心掛けている事。
心掛けれるようになった事。やっぱり人間、笑って楽しんだ者勝ち。笑えないなら、それでいい。そういう日もあるから。
「そういう日もある」って言葉、大事だと私は思う☺️
そして、昨日沢山頂いた言葉である。
「素敵な、充実した一年になりますように」
私は、その言葉どおり、楽しい充実な一年にしたいと思っている。
自分が動ける範囲は限られているけど、今年は、色んな場所に赴き、相互さん達と遊びたい〜!って思える程に皆が好きだな。って昨日思ったので、皆さん、機会があればまた米と遊んでやってください😊
……皆さん、休める時は休む、食欲が無くても何かちゃんとしたのを食べる。寝る。ストレスを溜め込まない。
ダイジ。コレダイジ。お願いだから皆さんは無理をしないで下さいね。
最後まで纏まりの無い、妄想でも何でもない、内輪話を読んで下さりありがとうございました☺️
来週か、週末には元気になってまた沢山、絵を書いてると思います。