朝マックの美味しさに気付いた2024 冬
幸せとは星が降る夜と眩しい朝が繰り返すようなものじゃなく、大切な人に降りかかった雨に傘をさせることらしい。そうなんだ。確実に前者の毎日を繰り返していて、何かに夢を見るたびにその時その瞬間の楽しさと引き換えにその後の無味無臭の日々に鬱になるを繰り返していてもう勘弁してくれい!wになってきた、冬。
しあわせでありたい、けれどその幸せを作るのもまた自分であるからその手段をこの生きてきた中で沢山知ったはずなのにも関わらずその手段と作り出す自分に嫌気がさすせいで他人から与えられたいと思っているのが幸せになれない理由なのでは?と思いました。
絵を描く、文字を綴る、言葉を発する、写真に写る、他人と話す、友達と遊ぶ。
全部出来るはずなのに上手くいかなくて悔しいし羨ましいし悲しい。どうしたらいいんだ?これは...。所詮ネットの文面上、だからこそネ友なんて普及したはずなのに、ただ相手が人間として存在してしまうから、文面上だからこそ必要以上に相手の反応を気にしてしまって鍵パカで人と繋がることにも、まあ…無くてもいいかな…と思うようになってきたし。ウーン。社会不適合者。
小さい頃、とはいえ小学五六年の話。自分はこれがかっこいいんだ、かわいいんだと思っていたものは世の中ではダサい、とされていて。皆で遊びに行った日に服装を写真に撮られてラインのグループに貼られたのを今でも鮮明に思い出す。あの時笑って終わらせた記憶があるけど、人と遊ぶ時何かに行く時、服を選んでると毎回毎回毎回頭の中でこの光景がよぎるせいで遊びに行くのも何するのも楽しみなはずなのに、服はどうしたらいいんだろう。のこれで全然2週間悩むとか、ある。まあ笑い話すぎるし、向こうは本当に覚えてないんだと思うけど、今自分は大丈夫なのかなって死ぬほど不安になる。傍から見たら今着ているものも、遊びに行った時の服も、メイクも、体型も、笑いものに値したらどうしようと思う。
恥ずかしい話すぎるな。これ。本当に恥ずかしい。自分のせいでこうなったのに自分のせいでこうなったものを自分の悪としてずっと引き摺っていることが、恥ずかしい。言えねー。こんなのデカい声で話せませんよ。普通に。恥なので。高2で友達からハブられてぼっちで、クラスの目が怖くて人から言われる全てに泣いて一年クラスに入れませんでした!w👈これ人生における1番の恥。ここに書くくらいが限界。この時デブで前髪も作れないようなど芋ゴミだったから仕方ないけどねー。外で口に出せませんよ?恥なので。最悪すぎる。こうやって恥を重ねて、真っ当に生きてこれなかったからこうなったんか?そう思うともう、生きててすみません...すぎるけど。
他者の目を気にせず楽しめる人間に早くなりたい。勿論これはマナーとかルールとか、ある程度の人目は気にしないといけない事を念頭に置いた上で、だけれども...。人の目を気にしすぎて、他人の考え方に羨望してしまって、それだけのせいではないけれどそれを基盤に自分の生み出すもの自分のあり方にずっと不安を抱いてしまう。どうしたらいいんだろうなー。
でもこれの解決って自分の努力しかない。痩せて、頑張って見様見真似でもかわいい服着て、それに恥じないように髪もメイクも頑張って、結局努力して必死になってくしかないからね。働いてお金を稼ぐのとかもそうだし、絵を死ぬほど描いて絵も上手くなるしかないし。これは人のせいに、出来ないので。
話は変わりますが。自分が与えたいと思っている感情と同じものが返ってこなかった時に酷く絶望してしまう事だとか、それって他者に期待しなければいいとみんな言うけれど。でも他者に期待して自分から行動しなかったらなんにもしてくれないじゃんね。とも思う。友達とか、家族とか。でも悩んで悩んで考えて不安になって、その上で誘ってもらったり仲良くしてくれていたり何かを貰ったりするとよかった、と思えるから、こうやって小さく小さく積み重ねて間違えないように、大切にしていけれますようにと思います、ねー。
何の話?
早くしあわせに、なるぞー。
おしまい。