才能

おにく
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公開:2024/11/28

才能があるかないかと言われたら、「あなたには才能がある」と言われる方だった。

昔の私は大体なんでもそつなくこなすし、器用だったらしい。何をやらせてもすぐにうまくなったそうだ。勉強も運動も話すことも。負けず嫌いなところもあってかスポーツやゲームは特にうまくなりやすかったらしい。でも一回大きく精神を壊してからはとても不器用になった。頭の回転も悪くなった。びっくりするくらいに生きるのが下手になった。

勉強も運動もできなくなり、そんなこんなでクリエイティブなことをするようになった。周りには「才能があるね」なんて言われたりもするけれど、こういうことをするようになってから自分に大きな才能をあまり感じたことは無い。スタートダッシュはうまい方だと思う。衝動性と新しいことへの好奇心が高い方だから。ただ、それだけ。

私がうまくなるのが早いと言われるのは単純に他人よりかけた時間が長いからだ。ハマればそれしかやらなくなるから。要領よく時間をかければ誰だってうまくなる。(もちろん要領よくというのが独学では難しいことを理解している。私が自分の才能で胸を張れるのは自分一人で要領を掴むのが上手いことくらいだ)。

私が誰よりも時間をかけていることを周りはあまり認識していなかったりする。それが少し寂しいと思うことがある。私がやったことは「私の才能」のおかげであると言われたりすることもまあまああった。それが悔しかった。

私は自分の努力を認めてほしかったのだろうか。今はまだしも、昔はそう思っていなかった。私は一緒にものを作ることを楽しめるライバルや友人がほしかった。だからみんなもやろうよ!と誘っていたけれど、私の世界は思ったよりも他人とズレがあった。ズレる度に「あなたは能力があるからできるけど、私にはできない」と言われてきた。

結局、誰とも足並みが揃うことはなかった。しかし、ものを作るうえで絶対に足並みを揃える必要なんてないのだ。それを理解した今では、私の価値観を押し付けてしまったことを反省している。

そもそも、誰かと足並みを揃えたかったのは何故だっただろうか。それは私が孤独になりたくなかったからだ。もっと正しく言うのなら「私が異常であることを、普通では無いことを知りたくなかった」からだった。

この人生、私は異様なまでに「自分が普通である」ことに固執していたし、普通でいたかった。理由は家庭事情も関係しているし、色々あるから割愛する。

今は異常である自分を受け入れつつある。才能のレッテルを貼られることももう慣れた。孤独であることを受け入れた。

だけど、今の時代を見てると、私よりも才能のある人間はいくらでもいると思う。実際、私のそばにはさまざまな天才がいたし、自分が才能がある人間とはあまり思えない。

学園アイドルマスターの花海咲季が自分のことを「偽物の天才」だと言う。その言葉がやけに響いた私も、偽物なんだなと思う。

偽物でいいから、がんばるか。

@029scenario
おもったことを徒然なるままに