つらいことがおきたり
いやなことがおきたとき
気づけば自分でどうにかしなきゃって思うようになってた
誰に何を言われたわけじゃないけれど
助けてって、きついって言えなくなってた
心のどこかで
どうにかできるのは
自分を守れるのは
自分だけって思っていた。
親に話しても
心配かけるだけ。
わざわざ話して不安にさせる必要ないよな
悲しい気持ちにさせる必要ないよな
っていつも乗り越えた後に事後報告。
こんなことが起きてね、しんどかったけど、もう乗り越えたから大丈夫ー!って
笑って報告。
いつもそんなふうに話すと
母はちょっとだけ悲しそうな顔をしていた気がする。
相談してくれたらよかったのに。って
いまだに、どうして話してくれないの?って言われる。最近もそれでバチバチ。
どうして話せないのか、どうして助けてって言えないのか。
自分でもよくわからない。
自分がつらいときは何をみると癒されて、誰に会いたくなって、どんな曲を聴きたくなるのか。
自分の機嫌の取り方だけは上手くなった。
誰かを信じてないわけでも
孤独なわけでもない。
ただ、自分で向き合って、自己完結して乗り越えた方が楽なだけ。
嫌なことがあったら
海に行ってただぼーっとする。
ちょっと贅沢してハーゲンダッツを食べる。
あったかいお風呂に入る。
そしたら、大きな安心感に包まれる気がする。
気張らず、もうちょっとだけやってみようかって思える。
上京してきて、
心がいっぱいになって涙が溢れそうになった時、
海を探したけど、近くに海はなくて
息が苦しくなった。
わたしは海がないと穏やかに呼吸できないくらい、海に依存していたのかも。
(前回の家は、内見で部屋から海が見えた時即決した)
誰にも弱さを見せられなくて、いっぱいいっぱいになってから、爆発したように感情が溢れ出すから
お付き合いしてきた人たちにも、びっくりされる。
耐えられなくなるまで、溜め込んじゃう癖を治したくて、素直にこれが嫌だったんだって言えるようになりたくて、今の人とお付き合いすることにした。
何かを話したときに、否定をしないで、受け止めてくれる人だったから、どんなこともこの人となら話し合えると思ったから。
この前、泣きながら話をした時、
海が近くにないところに、連れてきちゃってごめんね。
次のお休みの日には海をみに行こうねって
その言葉をかけてくれた時、呼吸がしやすくなった。
わたしにとってこの人は海のような人かも知れない。
無理にがんばれって言うわけでもなく
こうした方がいいって決めつけるわけでもなく
なかなかうまく言語化できない感情を静かに聞いて、そのまま受け止めてくれて
ただ心の赴くままに生きることを望んでくれる人
私より私の可能性を信じてくれている人
そんな海のような存在が、わたしにはいるんだって
自分の人生をあと一歩、もう一歩
進む勇気をもらえた気がする
いつも心を柔らかくしてくれてありがとう
私もあなたにとって凪のような人でいたいです