愛猫が死んだ

ユウ
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公開:2026/1/26

2026年1月19日の朝、愛猫のミュウが天国へと旅立った。

我が家にやってきて約20年、ミュウは私たち家族に愛と幸せをこれでもかと与えてくれた。

絶対に忘れたくない。

私は年末年始に発熱し帰省できなかったため、16日金曜日の午後、実家に帰った。ミュウの様子を両親が家族LINEでずっと教えてくれていたが、彼は年明けから一段と弱まり、足腰が弱くなり歩くのにもやっとで、手脚がひどくむくんでいた。あわてて老猫のむくみについて調べたら腎不全の末期症状らしく、私はひどくうろたえた。

ミュウに死が近づいている。確実に。そう思うとうんと落ち込んで、胸のあたりが重たくなった。帰省するまでの1週間は何も手につかず、集中できなかった。

実家に帰り、「ただいま、おばあちゃん、ミュウ」と声をかける。おばあちゃんが嬉しそうに「おかえり」と言ってくれて、ミュウはいつもどおり「なんだ、お前か」とでも言いたそうな顔を向ける。老いて小さくなったその身体を撫でた。背中をなでるとコツコツと背骨を感じて、筋肉や脂肪がほぼなくなったことを嫌でも教えてくる。恐竜みたいだね、と思った。ソファーの上の猫用ベットで丸まるミュウに「お隣座ってもいい?」と話しかけると「ミャア」と返事をしてくれて、泣くかと思った。

夜ご飯を食べた後、居間でカウコンを母と観た。ミュウは最近今の猫用ベットで寝ているらしく、ずっと私たちと一緒にいてくれた。途中、身体を起こしたから、おなかがすいたのかな?と思い、チュールをあげた。ミュウはバクッとかみつく勢いで食べていたので、もう1本チュールをあげた。

翌日の土曜、妹も仕事が終わり次第弾丸で帰省してきた。家族全員揃ったね。その夜は、妹と母と私でまたカウコンを居間で見ていて、ミュウも一緒にいてくれた。いつも通りだった。

そして日曜、私と妹は東京に戻らなければならない。お昼ご飯の焼きうどんを食べていたら、ツナとかつお節のにおいにミュウがクンクンいいにおいがするなあと反応したので、ミュウにもチュールをあげた。バクバク食べて相変わらず食いしん坊だなあと思った。

身支度をして、そろそろ帰るね、とあいさつをする。ミュウはどうにか身体を起こして座っていた。たまらなくなり、そっと抱きしめる。こんなに小さくなったのね。でも懸命に生きている。ありがとうね、また会いに来るからね。そう心の中で伝える。ミュウは相変わらず「お前に抱きしめられてもなあ」とちょっと不満そうな顔をしていた(ミュウはおばあちゃんが大好きで、おばあちゃん以外には基本的に塩対応なのだ)。本当に、いつも通りだった。

19日の早朝、母から電話で、ミュウは今朝おばあちゃんのベットの中で天国へと旅立った、と聞いた。

ミュウ、家族全員揃うのを、私と妹が帰ってくるのを待っていてくれたんだ。

ミュウ、大好きなおばあちゃんのそばで天国へ逝けたんだ。

涙が止まらない。それでも、ミュウへの感謝の気持ちがあふれてきた。ミュウ、ありがとう、だいすきだよ、電話越しに母と泣きじゃくった。スピーカーにしていたから母のそばにいた父やおばあちゃんにも聞こえていて、「ミュウにも届いているよ」「ミュウの最期はぜんぜん苦しまなかったよ」と言ってくれた。

妹と連絡を取り合って、さいごにありがとうって挨拶をしたいと、すぐに二人で実家に帰ることにした。妹の仕事の都合がつけられる日の朝であったこと、私と妹が最後に帰省できたこと、家族全員でご飯を食べられたこと、ぜんぶミュウはわかっていたんだと思う。

実家に到着し、おばあちゃんが迎え入れてくれた。おばあちゃんが「今朝たくさん泣いたよ」と言って、3人で泣きあった。そして、ミュウはこっちにいるよ、と奥の仏間へ案内してくれた。

テーブルの上に座布団を置き、その上にバスタオルでくるまれたミュウがねむっていた。子猫がスヤスヤと眠っているようだった。冷たく硬くなりつつあるミュウを撫でながら、よくがんばったね、ありがとう、だいすきだよ、と何度も声をかける。涙がぼたぼたと落ちていった。

ミュウの死を聞いて、伯母が駆けつけてくれた。ミュウは伯母が連れてきた猫だ。伯母は涙を流しながら「この子は出会う人みんなを幸せにしてくれたね」「こんな猫いないよ」「ほんとうによくがんばったね」と声をかけてくれた。

そう、ミュウは出会う人全員を笑顔にしてくれた。誰に対しても人懐っこくて、穏やかで、ちょっと気弱で、食いしん坊、おばあちゃんが大好き。親戚が集まった時も、お客様がやってきたときも、必ずみんなのそばにいて可愛がられていた。まるで自分のことを猫だと思っていないようで、人間だと思っているんじゃないか、というふうにおばあちゃんとおしゃべりしていた。基本的にはおばあちゃん以外にはさっぱりしているのに、例えば、母がスマホが壊れて落ち込んでいるとそばに来てくれたりした。だれかが体調が悪かったり、悲しんでいたりすると、いつもは来ないのにその人のそばに寄り添ってくれた。本当に愛情深い、不思議な猫だった。

20日の朝、葬儀場に預けて骨壺を受け取る形になった。私と妹は葬儀場に送るところまで一緒にいようと決めたので、19日はお通夜で家族みんな一緒にいることになった。私たちが買ってきた花束と、父が買ってきたお花を飾り、チュールと大好きなマグロのお刺身をお供えした。さみしくないようにと、父がぬいぐるみをミュウの周りにおいて、にぎやかになった。

最後におじいちゃんの遺影も一緒に家族全員で写真を撮った。ミュウがもういないということが信じられなかった。

20日の朝、ミュウを葬儀場に送った。本当の最後のお別れだ。棺の段ボールにミュウを入れて、花束を崩してお花をミュウの周りにそえた。涙が止まらなかった。

葬儀場の人に預ける際、手脚が長い猫ちゃんですねと褒められた。そうなんです、顔も小さくて手脚が長くてスタイルがいいんです、と誇らしくなり、また泣きながら笑顔になった。ミュウは最後の最後まで私たちを笑顔にしてくれた。

私と妹は東京へ戻った。不思議とミュウへの感謝の気持ちであふれていた。ミュウは最期まで自分でご飯を食べて、トイレもできて、自分の脚でどうにか前に進んでいた。私たちに苦労をほとんどかけなかった、誇り高い猫だと思う。

夕方、骨壺となり、ミュウは帰宅した。母と父が、骨壺の周りにミュウの写真とお花を飾ってくれた。

亡くなった人やペットの思い出話をすると、天国にいるその人やペットにお花が降り注ぐらしい。ミュウはきっとお花まみれになっているだろう。おじいちゃんと会えたかな。おじいちゃんもミュウのことを溺愛していたから、なでなでしてもらっているといいな。

きっとこれからミュウが死んだことをじわじわと実感するのだろう。

ミュウの声や、毛並みの柔らかさ、ふくふくとした身体、小さな後頭部……どれもいとおしい。けれど、すこしずつ思い出せなくなっていくのだろうと思う。それがとても怖い。だから、今は写真や動画を何度も見返している。もうミュウがいないなんてほんとうに信じられない。

「思い出せなくなるということは、決して忘れてしまったのではなくて、その存在があなたの一部分になっていっているということ」という話を聞いたことがある。いつかミュウが私の一部分になるのかもしれない。そう思うと、少しだけ怖くはなくなる。

ミュウは幸せだっただろうか。

私たちはうんと幸せだったよ。本当にありがとう。ずっとずっとだいすきだよ。また会おうね。

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