自分は記事を書いたり、感想をまとめたり、発信することが多い。
実際、それをきっかけに評価してもらえることもあったし、インターンに誘っていただいたこともある。
だから、
アウトプットに価値がない
とは全く思っていない。
むしろ、
人に知ってもらえる
興味を持ってもらえる
会話のきっかけになる
チャンスに繋がる
みたいな意味では、本当に強いと思っている。
実際、自分自身かなり助けられてきた。
でも最近は、
アウトプットって万能ではないし、時には毒にもなる
とも思っている。
アウトプットは「分かった気」を作る
これが結構怖い。
記事を書いたり、人に説明したりすると、かなり理解した気分になる。
しかも周りから、
すごい
詳しい
レベル高い
理解してる
みたいに褒められることもある。
でも実際に、
面接
深い技術議論
実装
設計
運用
みたいな場面に行くと、普通に中身を見られる。
そこで、
「なんとなく分かってる風」だった
って気づくことがある。
発信力と実力は一致しない
これは別に「発信してる人は中身ない」って話ではない。
実際、発信も継続もかなり難しいし、強い人も多い。
ただ、
発信が上手い = 実力がある
とは限らないと思っている。
特に今はAIもあるので、
強そうな文章
分かりやすい記事
綺麗なコード例
はかなり作りやすい。
でも、
なぜその設計なのか
なぜその技術選定なのか
どういうトレードオフがあるのか
どこで壊れるのか
みたいな部分は、結局ちゃんと理解してないと厳しい。
面接とかで掘られると普通に出る。
「見せるための学習」になる危険もある
アウトプットを続けていると、
学ぶため
ではなく、
発信するため
に勉強してしまう瞬間がある。
例えば、
バズりそう
初心者向けに見せたい
強そうに見える
浅く広く触る
それっぽくまとめる
みたいな方向に引っ張られる。
すると、本来大事だったはずの
試行錯誤
泥臭い理解
深掘り
失敗
長時間悩むこと
が減ってしまう。
自分はこれ、結構危ないと思っている。
インプットなしでは、良いアウトプットはできない
あと最近かなり思うのが、
良いアウトプットをしたいなら、先に良いインプットが必要
ということ。
当たり前だけど、
深く考える
実際に作る
失敗する
調べる
悩む
試す
みたいな時間がないと、中身のあるアウトプットって難しい。
でもSNSを見ていると、
とにかく毎日発信しよう
みたいな空気も結構ある。
もちろん継続は大事。
ただ、自分は、
アウトプットは目的ではなく、インプットをさらに深めるためのもの
くらいの距離感が合っている気がしている。
記事を書くことで、
自分の理解の浅さに気づける
言語化できない部分が見える
曖昧だった概念を整理できる
みたいに、もう一段階インプットが深くなる感覚がある。
だから自分の中では、
インプット → アウトプット → 再インプット
みたいな循環に近い。
だから「アウトプットしない」のではなく、距離感が大事
別にアウトプット自体を否定したいわけではない。
実際、自分も記事を書くし、発信から得られたものもかなり多い。
ただ、
アウトプット = 実力の証明
ではないと思っている。
むしろ、
アウトプットは「理解を深めるための手段の一つ」
くらいの感覚の方が健全なんじゃないかと思う。
結局最後は、
どれだけ考えたか
どれだけ試したか
なぜそうなるか理解しているか
実際に作ったか
みたいな部分がかなり大きい。
最近は特に、
「発信力」より、 「本当に理解しているか」
の価値が上がっている気がしている。