インターネットについての駄文

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ここ数年、世代が移り変わったのか所謂ネットノリを理解している企業が増えた気がする。

最近のマクドナルドのホームページ風の広告なんかがまさにそうだと思う。引用を少し覗くと「老人会歓喜w」や「懐かしすぎてしんどいwww」なんてツイートがある。

こういった企業のプロモーションを見て思ったのが、インターネットのボリューム層は無害な老人、そして過去に憧れる若い人間になったという事だ(昔からそうだったのかもしれないが)

俺が小さい頃、親の会社の古いノートパソコンで見るインターネットに魅了されたのは、間違いなくインターネット特有の逆張りにあったと思う。企業やテレビが発信する綺麗なコンテンツという多数に対する反抗は、自らが選ばれた人間であると言った、実際はそんなことは全くないのだが、ある意味自らの選択で逆を選んでいるという優越感があった。

過去に見ていたネットは酔えるほどのアングラであった気がするのに、今は惰性で日常を侵食するもう一つの世界になっているのは俺が年齢を重ねたからなのか?

猫ミームのshortが流れるたび、わずか1分で昔憧れていたはずのインターネットの現在はなんて事ないゴミ溜めで、面白くない人間が決められた形でしょうもないエピソードを語る場になっていることを感じて寂しくなる。

逃避先だったはずのインターネットはもはや逃げていた世界になっていて、結局は逃げるのをやめて還るべきなのかもしれない。オタクカルチャーやネット文化が現代になって市民権を得たのではなく、ただ単にマス側の人間の住む世界に取り込まれた今、そんなネットに対して逆張りを続けるべきか、そんなネットを喜ぶべきなのかもわからない。

ネットと企業たちの間は曖昧になり、匿名のはずのネット上の個人がアイデンティティを確立し始めている。

混沌としたネットを取り戻したいわけでもないし、昔のネットはよかったというつもりもないが、時々ふと、放課後に友達と行った駄菓子屋が月極の駐車場になっていたような喪失感に襲われる。