フィクションにおける有能描写

111strokes111
·

共感する力を持ち合わせていないことを客観性や有能さの表れとして描くの、そろそろ拙いのでは?と思うようになりました。

残酷な選択も出来てしまう有能なキャラ!みたいな幻想にキュンキュンきている中年男性が何か言ったつもりになるためにプラネテスに出てきたキャラ、ロックスミスが会見するシーンのコマを貼る回数が多すぎる。

ロックスミスの「次は失敗しません」画像を見るたびに5セントもらってたら私は今頃大金持ちですよ!(この言い回しをNetflixの「バーベキュー最強決戦」出場者がマジで使っていてそれは感動した)

対人関係に問題が発生するレベルで共感する力がないなら己と周りのために工夫が必要です。周囲の感情に配慮するのが面倒でしらばっくれているなら不誠実な日々を送っていることになってしまう。ロックスミスの画像を貼って何か言ったつもりになる人やその周りにいる人たちが心配です。

私はヒュームのありとあらゆるものを疑った果てに残ったのが感情だった、という話がとても好きなので感情を軽視さえすればOK!みたいな風潮が残念です。

未だにファイアーエムブレム風花雪月に囚われし者なので、風花雪月の二大冷静売りキャラであるヒューベルトとクロードが実は"抗いがたい、真にパーソナルで他人とは共有し難い感情"に突き動かされて戦っていたことが判明するの、本当に激アツだと思っています。

@111strokes111
だからなんだ?ということを書くような気がします。