シン・仮面ライダーについて

Kamiyama-6hito
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『シン・仮面ライダー』(庵野秀明脚本・監督、2023)は、『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督/樋口真嗣監督、2016)、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(庵野秀明総監督、2021)、『シン・ウルトラマン』(樋口真嗣監督、2022)と同じく『シン・』の名を冠する作品である。『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』は『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-)ならびに『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』(2007-)の完結編という建付けだが、その他の作品は「仮面ライダー」「ゴジラ」「ウルトラマン」の第一作を改めて現代を舞台に行った作品であり、現状シリーズからは独立している。これら『シン・』シリーズの最後に公開されたのが『シン・仮面ライダー』である。

『シン・仮面ライダー』は『シン・ゴジラ』『シン・ウルトラマン』と異なり、一般人自体が描かれない。前2作ではゴジラや怪獣が現れて逃げる群衆や、国会前デモをする群衆、巨大長澤まさみを撮影する群衆など、さまざまな一般人が登場していた。しかし、本作ではハチオーグに操られた一般人はいるものの、彼らが直接ショッカーに襲われたり連れ去られたりする直接的なシーンはなかったように思える。政府関係者の男たちなども登場するが、国がショッカーとどう関係しているのかなど、外部との繋がりが描かれているわけではない。それどころか、仮面ライダーやルリ子についても、バックボーンを深く描かれていない。過去に何かトラウマがあった、不幸があった、ということはわかるようになっているが、どういった事象があったのか細かく描かれてはいない。仮面ライダー2号こと一文字隼人が洗脳から解除されたときに涙するが、その涙の理由すら語られない。

外部との繋がりを描かれていないのは、仮面ライダーだけではない。ショッカーについても同じである。組織としてのショッカーが人類を幸福に導く方法として「最大多数の最大幸福」という集団の功利主義ではなく、「個々の不幸を個々の幸福に還元する」というかたちを選択した。しかし、ショッカー幹部たちも、人間のときにどういった絶望や不幸にあったか、それを受けて何故怪人として力を執行するかといったバックボーンは描かれていない。クモオーグは裏切りのない世界を求め、コウモリオーグは疫病による淘汰を求め、サソリオーグは快楽を求め、ハチオーグは支配を求めたのだろう。チョウオーグは精神世界への離脱による肉体の軛から離れることを求めた。彼らの目指す幸福はそれぞれ相反している。全てが同時に叶えられるわけではない。力を与えられた個人はそれぞれ別の昆虫・動物となり、それぞれ別の王国を作ろうとする。万人の万人に対する闘争によって、争いは絶えないようになっている。オーグは人間の群れになれなかった個の進化系であり、個々がそれぞれの物語を持っているが外部に共有しない、というのは現代的な描写だったのかもしれない。

本作で仮面ライダーは暴力装置であり、孤独である。彼が人々の為にショッカーの幹部や戦闘員を殴り蹴り倒していくのは、もちろん人類のためである。政府関係者の男が言っていたように、人間はみな挫折や苦悩を抱え、乗り越えながら生きている。怪人化し、今の社会とは異なる世界を作り上げたいと、誰もが思っているわけではない。仮面ライダーが行う暴力による粛清もまたショッカーAIが意図したバッタオーグの幸福の形の可能性すらあるのだ。本作の引きから考えるに、今後も仮面ライダーはショッカーと戦い続けることとなるだろう。ただ、本作のショッカーと相対できるのは暴力装置たる仮面ライダーではない。ショッカーが作り出した幸福を目指した闘争のエコシステムから仮面ライダーは脱却できていない。

だからこそ、「普通の人」は描かれていないのかもしれない。バラバラでしか生きられない孤独な怪人たちにスポットを当てるから、共感を得られるようなシーンは最小限となっている。物語自体もテレビシリーズを再編集したような、どこかツギハギ、バラバラな印象が否めない。クモオーグ編=同胞の裏切り、ハチオーグ篇=友との別れ、チョウオーグ編=仇討ちと継承など、それぞれ異なるテーマを扱いながら説明描写が最小限なことが要因だろう。庵野監督のアニメチックな、複数カメラを同時に動かしカットを切り替えるような作り方なども、バラバラな印象に拍車をかけている。

パンフレット等を見ると6幕構成となっていることがわかる。現行の仮面ライダーシリーズと繋げられてしまうかもしれないが、『シン・仮面ライダー』はキャラクターや主題は他者を必要としないことで成される正義を描いている。より分かりやすく作れば、平成仮面ライダーや配信オリジナルライダー(『アマゾンズ』や『Black Sun』)と差別化できず、なんなら『ディケイド』や『ジオウ』といったメタ的な作品に利用されるかもしれない。『シン・ウルトラマン』も複数の敵とのエピソードを一つの映画でやっていたが、向こうはメフィラスの段階的な実験だったから繋がりがあった。『シン・仮面ライダー』のオーグ…ショッカー幹部は顔見知り程度(クモオーグとKKオーグは除く?)で人類支配を連携して行ってはいない。エピソード同士の繋がりの薄さを考えると、TVシリーズと同程度=一話につき20〜30分程度割くことができれば、より多くの人が面白がれる作品になったかもしれないと夢想する。

@1236dominion
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