わたしはよく「大丈夫?」と言う。それは、相手が「うっ痛い〜」と言ったときはもちろん、道に歩いている他人を見て「あの人大丈夫かな」と思うこともある。
ここ最近のわたしは明らかに体調が悪い。常にどこかしらが痛い。頭、胃腸、肩、首。春になって花粉が舞うようになってからは花粉症も追加された。生理痛も重い。先日、わたしはお腹と腰が痛くて起き上がるのもちょっとしんどいな……というときがあった。朝、出勤する恋人を見送るために起き上がろうとするもなかなかすぐには起き上がれず、「ごめん、腰が痛くて……」と話すと、恋人は「うん」だったか「そう」だったか忘れたが、そのような返事をした。わたしはてっきり「大丈夫?」とか「無理しないでいいよ」とか、そんな答えが返ってくると思っていたので、それだけ……?と思ってしまった。今思うと心配してほしかったのだと思う。
昨日、わたしは恋人に「あんまり大丈夫って言わないですよね」とさらりと聞いてみた。文面で見ると冷たく感じるし、言い方を間違えるとこれは良くないと思ったので、できるだけ軽めに、単純に疑問に感じていることが伝わるように言った。「なんで?」と聞かれたので、理由を話した。困っている他人を見て「大丈夫かな……」とこぼすわたしに対して、基本的にはスルーするよね。わたしが「〇〇が痛い」と言うとき、心配はしないよね。わたしは逆にかなりの頻度で恋人に「大丈夫?」と聞いているよね。思いあたることを一通り話すと、恋人は言った。「大丈夫じゃない人に大丈夫?とは聞けない。でも心配していないわけではない」と。そうか……、なるほど。確かに、大丈夫ではない人に大丈夫?と聞くのはわたしも躊躇うときがある。ほっといてよ、と思う人もいるだろうし、心配されることが恥ずかしいと思う人もいるだろう。もしくは道端や電車などの他の人がいる環境であれば、自分が心配しなくても別の人が反射的な速さで心配することもある思う。でも、わたしは思わず「言わないと伝わらないこともあるよ、冷たいな、悲しいなと思うこともあるよ」と、言葉を選ぶことなく言ってしまった。その後も何かやりとりをしたが、「指摘してくれてありがとう、これからも感じたことを言ってほしい」ということで話は終わった。
わたしは「大丈夫?」の言葉というより、「『大丈夫?』と声をかける行為そのもの」に意味があるような気がするのだ。心配をしていても、それを口に出さないと何も伝わらない。実際、わたしも「大丈夫?」と心配してくれる友人の気遣いや思いには救われてきた。だからと言って、恋人にわたしと同じになれとは言わないし思わない。いや、内心はそう思っているのかもしれないけれど、それを強要するのは違う気がする。もちろん恋人のことを否定したいわけではない。ではどうしたらいいのか。わたしはどうしたいのか。違う人間である、ということを知った上で、どういうふうに関係を築いていこうか。最近はそんなことばかり考えている。