いつかはフリーランスに

わちゃ
·

学生時代は「フリーランス」という言葉に憧れていた時があった。「なんだか、かっこいいなぁ」なんて。社会人になると、「そんな不安定な仕事…自分にはきっとできない」「意識高い系と呼ばれる人が目指すものなんだ」なんて思うようになっていた。奨学金を返しながら生活している身では、なかなか飛び込めない。そして、そこまでの技術もない。だから…。と諦めていた。

今はどうだろう。夫は、造作大工として一人親方。個人事業主(フリーランス)をしている。「不安はあるけど、技術がある」と言い切れる夫に頼もしさを感じた。技術があれば一定の収入は得られそうだと、思った。私には、その技術があるのか?

現在の仕事は学校現場での教育。元々、「学校の先生になりたい」と思っていたわけではない。「支援を必要とする人が生きやすい社会にしたい」と思って支援教育を学びに大学へ行ったことが始まりだった。自閉症の弟が18歳で社会に出る時、「こんなにも働く選択肢がないのか…」と驚いた。公共のバスに乗り、1時間以上かけて山間部から海沿いの作業所に向かう弟。バスに乗ることができたから、田舎で周りの人が見守ってくれているから、働くことができている。時には、財布の中からお金が盗まれて帰ってくるなんてこともあった。心に余裕のない誰かがそうしてしまったのだろう。しかし、弟は「悪いことをされた」ということがわからない。わかっていても、それを伝えることができない。言葉のほとんどはオウム返しになってしまい、コミュニケーションで相手に思いや出来事を伝えることが難しい。「どこで働きたい・何をしたい・何で困っている」も言えない。周りの人すべてに「障がいを理解して」とは言わない。でも、彼らが生きやすい世の中にしたいと切実に思う。そうして、「田舎に帰って、よりよい社会にする」と意気込んで大学で学び始めた。

結局、どうすればいいのかわからず、「社会福祉協議会で地域のために働く」か、「特別支援学校で働きながら一人ひとりと向き合っていく」かの選択肢で迷い、「支援学校で働いて、一人ひとりと向き合って働きながら考えていこう」という決断に至った。そして現在、支援学校で働いている。

新卒から働き始めて8年。仕事をしているうちに、5年ほど前から「ICT教育」の波がやってきた。元々ガジェットは好きだが、機械にとても詳しいわけではない。自宅で動画視聴専用機になっていたiPadを「仕事で使ってみよう」と試行錯誤し始めた。年配の先生からは「iPadなんて、子どもが熱中し過ぎて遊んじゃうから教室に持ってくるのは…」と心配されることもあった。ICT化を進める一人になろうと周りの目は気にせずに「文科省の勧めるICT教育だから」と、頑張ってみた。1・2年経つと、教材はそれなりに効果的なものを作ることができるようになってきた。周りからは「ICT」関係で頼られるようになった。「これどうしたらいいの?」という悩みに答えているうちに、気づけば周りの人よりもかなり機械関係の詳しくなっていた。悩みに答えて相手が喜んでくれると嬉しくて、頼りにされるのも嬉しくて。より専門的に学ぼうとIT関係の資格を独学で学び、取得しに行ったり。使ったことのないアプリを模索してみたり。プライベートでは、もっといろんなことができるようになりたいと、趣味の範囲でデザイン作成・写真編集・動画編集もある程度できるようになってきた。いろんなことに挑戦したい。発信したい。と意欲的になり、noteでの投稿をはじめた。

いつかフリーランスになりたい。あと3年、5年、10年、働いたらフリーランスになるんだ。実績と技術を身に着けて自分で仕事がしたい。Web系の仕事がしたいと思うようになった。それが今。区切りをいつにするか模索しながら、技術を身に着けている最中。

そして、ここで立ち止まる。

「何のために働くのか」「何がしたいのか」。

技術ならいくらでも身に着けられる。ある程度の不安もあるが自信もある。でも、「何がしたいのか」。

いつだって思い浮かぶのは、「支援を必要としている人たちが生きやすい社会」を作ること。人生の選択肢があること。働く選択肢があること。生き生きと、自分のしたいことにチャレンジできる場所を作ること。

そのためには何が必要か。生々しい話だけど、まずは「お金」。そしてなによりも「人」。

私が今向いている方向はWeb系フリーランス。なぜその道を選んだのか。今より稼ぐため?きっとそう。本当に生々しい話だが、お金は大事だ。公務員である自分にはお金がない。平均収入より高いじゃないかと言われそうだが、貧困家庭で育った私は、奨学金の総返済額1000万円。まずは自分のことをどうにかしないといけない。どれだけ働いても一定額の収入。それではいけない。自分の力で、働いて稼ぐ必要がある。それに、自分で働くことを経験して、その経験で「人が働く場所」を作れるかもしれない。そもそもフリーランスでなくてもいいかもしれない。ただ、今の私は何も知らない。それが現実。教育を学んでいる最中。他にも「経験」をしたい。経験を創造に結び付けたい。

弟が18歳だった頃よりも「支援を必要とする人たちの働く場所」は増えた。あれから10年以上が経っている。他の人たちの力で、社会が変わってきている。私の出番はなくなっていくかもしれない。でも、きっと学校現場で子どもたちと向き合ってきている自分が出来ることは、また違うのかもしれない。

不安がないわけではない。途中で挫折するかもしれない。正しい道が見えているわけでもない。でも、挑戦して、挫折して、また挑戦すればいい。挫折も経験であり、学びだから。それを教えてくれた「教育」という仕事には、本当に感謝している。

これが私の目指す先。

@13_camera_13
独り言程度の思ったことを