友達と旅行に行った。そこでわたしはわたしの地雷というか、苦手なことがまたひとつ判明した!(こないだクリームパンが好きだと判明したし、ほんとに自分のこと知らんすぎるな)
命のあるものを食すときに、命の形跡があると恐ろしくて食べられない。
どういうことかというと、たこ焼きは食べられる。全然好き。でも旅行中に、小さいタコがまるごと入ったたこ焼きを食べることになって、怖くて怖くて仕方なかった。目つぶって食べたりとか、頑張って無になりながら食べた。そもそもたぶん違う食感のものを一緒に食べるのが苦手で、まるごとタコも足と頭は違う食感だと思うんすよ。これは足、これは頭かも、って思いながら食べてしまうので、めちゃめちゃ恐ろしくて仕方ない。それが普通のたこ焼きのように足の欠片が入ってるのなら全然平気なのだ……
あとマグロの解体ショーも怖い。子供の時からすごく怖かった。生きていた、生き物の形をしているものを切って解体して物にしていく、それを大勢で見て楽しむという行為が恐ろしかった。(解体ショーを楽しむ人をなんだかんだ言うつもりは全く無いです、私が怖いというだけ)
活き造りも子供の時怖くて怖くて、すごくいい伊勢海老なんだぞ~と言われて、いとこは大喜びしていたが私は怯えて食べれなくていとこにあげた記憶がある。あのときの、食卓に並んでいるのにまだ生きている、これから生きたまま食べられるエビのことが忘れられないのである……
あと、昔会社の飲み会で釣り居酒屋に行った。店の中に釣り堀的なものがあって、釣った魚をその場で調理してくれるので新鮮でうまい!というわけです。釣りはしたことなかったので超楽しみにしていたのだけど、いざ釣りをしたときに、釣り針に引っかかった魚が暴れる様がおそろしく、殺されないように抗う生き物の生命力というか…それを目の当たりにして、わたしはだめだ~!てなっちゃった。
あとしらすも苦手だし。しらす、ひとくちで食べる命多すぎる。魚の形そのままだし。しらすひとりひとりが私を見ている(見てないよ)
鶏肉調理するのもちょっと苦手。筋肉のスジとか形とかそのままだし。
でも身勝手ですね。生き物をいただくとき、さっきのたこ焼きで言えば、大きなたこからたこ焼きのなかの小さく切られたたこの状態にする人がいるからわたしは食べれているわけで。肉も魚もそう。かわいそう…というのとはちょっと違うかもしれない……なんだろうか?この恐ろしさは。
とりあえず、命をいただいておきながら怖がっている、このような身勝手で傲慢な人間がおり、すみません。
や、わかったぞ。厳かに「命をいただきます。」と生き物を殺めて食べることは理解できて腑に落ちるのだけど、それをエンターテイメントに昇華することは自分は出来ないんだろうね。
しずかなインターネットを自己分析?に使い続けているね。