外には強い雨が降っていた。この土地に降る雨は、大地に染み込む前に地表に溢れ、雨が強く降り続いた日には湖ができることがある。夜には天空の月が湖面に反射して、影を作る。
湿度を含んだ部屋の明かりに、オイルランプに照らされたヨルの瞳が潤んでいた。
深月は寝台の側に安楽椅子を引き寄せて、古い書物に目を通していた。かつてヨルがいた工場の内部には深月も興味があったから、ヨルの体調が良い日には、彼のしてきた仕事について話を聞き、思いを巡らすことも多かった。
「緑の光は、警告灯で安全だっていう印だよ。赤い光が付くことは、オレがいる間にはほとんど数えられるくらい」
「優秀なんだね」
「いいや。というよりは、稼働している人間がオレしかいなかったから」
巨大な工場の電力供給が、ヨル一人の手によって維持されていたというのは不思議な話だった。城そのものが動力源を内包していたのだろうか。この時深月の中には確かな予感があった。
「ヨルには、力があるんだね」
「……工場が動き続けていたって話?」
「そう」
「オレは操作盤に手を置いていただけだよ。どのセクションにどれだけの力を流せばいいかは、なんていうか……数をこなすうちに、閃くようになるんだ」
「もしかしたらヨルの祖先は、『星の民』ともつながりがあるのかもしれないね」
深月はそう呟いて本を閉じると、思案げに窓の外を見た。ヨルも深月の視線を追って、外を見た。雨音が絶えずする室内では、ヨルの声は囁くように聞こえた。
「……ここに星の降る井戸があるって聞いて、思い出したんだ。先代が言ってたのは、そういうことだったんだって」
「『星の民』のこと?」
ヨルは曖昧に頷いた。
「お前の力は、流れ落ちる星よりも強いものだから……もし外に出る日が来たら、気をつけるようにって」
浮かびかけた不安や恐れを押し流すように、深月は毛布の上に置かれていたヨルの手を取ると、軽く握りしめた。
「私たちは、君を助けたかった。それだけだよ」
今頃外には湖面ができているだろう。雨粒が絶えず窓に流れて、外の様子を確かめることは難しかった。部屋の奥のソファに体を沈めていた穂邑は、金属の球体を磨く手を止めて、掛け布団を胸元まで引っ張り上げた。
「おやすみ」
「今日はもうおやすみ。ヨル、私も寝るから」
深月は穂邑のいるソファに背を向けて、寝台に上がり込んだ。毛布の下でヨルの腕が腰に回されて、抱き寄せられていた。
甘えるようなヨルの視線をすり抜けて、唇を軽く吸った。舌が差し入れられると、目を閉じて毛布を頭まで被った。腰が押し付けられたので、落ち着かせるように背中を撫でた。ヨルの頭を撫でてから、眠るように視線で言い聞かせたが、不満そうな吐息が漏れるだけだった。
ヨルが眠りについてからも、雨はしばらく降っていた。深月も夢うつつで微睡んでいたが、やがて目を開けると、そっと寝台を抜け出た。激しく降り続いていた雨はやんだようで、静けさが室内を包んでいた。湿度のせいで寒さの緩んでいるのを幸いに、焚き火の火は消えていた。ソファには穂邑の姿はなかった。
背後で寝返りを打つ音が聞こえた。深月はヨルに気づかれないうちに、重い戸をすり抜けて外に出た。
深月がヨルと一緒に寝台で眠っている間、穂邑は湧き上がる思いを抑えきれずに、目を開けたまま天井を見ていた。部屋の中央で、火の気は小さくなりつつあった。テーブルの上には先程の磨きかけの金属の球体が載っていて、穂邑はこの金属と引き換えに『星の民』から薬を得ようと考えていた。深月は良くは思わないだろうが、止めることはないだろう。そう思いつつソファを立った。
背後に人の気配がしたが、穂邑は雲の途切れた南の空高くに浮かぶ木星がひときわ明るく輝いているのを、ただじっと見ていた。
「穂邑。あれからヨルと話したの」
「ああ。少しは」
「ヨルはさ、不思議なところがあるよね」
「そうだな。思っていたのとは違った」
「どんな風に……?」
「何というか、柔らかな印象を受けたよ」
「そうだね。そうかも」
雲の切れ間から月が覗いて、風が吹き抜けた。深月の砂色の髪が風に靡いて、目元が隠れた。
「ヨルは可愛いところもあると思うよ。穂邑は……」
深月の意図がわからずに、穂邑は深月をよく見ようとした。
「ヨルを抱いた?」
「……いや」
「それなら、キスくらいは……?」
穂邑はためらいがちに頷いた。
「自然の成り行きだった。何も……妨げるものがなかった」
「そうだね。私もそうなってしまった」
「……」
「ねえ穂邑。……穂邑も私に嫉妬したりするのかな」
「しないさ」
寂しげな深月の気配を感じながら、穂邑は呟いた。
「俺は困惑してる。自分の感情がこんなに醜くて、愚かで……抑えられないんだ」
「……穂邑が醜くて愚かだったことなんて、私の記憶にはないよ」
夜昼の区別なくヨルの体を気遣う深月を見ながら、穂邑は言葉にならない感情を覚えていた。
「おまえと二人でいる時、嫉妬はなかった。俺は知らなかった。初めて知ったよ……ヨルが来るまでは、そんな感情は知らずに生きてた」
「そうだね。私も……君と同じ気持ちかもしれない」
微かに湿度の残る風が吹いて、地表を流れていった。高度を増した月は地表から離れて、天高くにあった。
深月は穂邑の手を取ると、そっと握りしめた。穂邑も握り返していた。