「夜明けのすべて」を視聴を見ているときに思っていたことをつらつらと書いてみる。あんまり明るい文章にも読みやすい文章にもならないと思うけど自分のために書いてみる。
まず思い出すのは恋人だった人の事。本人の許可なく何でもかんでも書いてしまうのはよくないなと思うけど少しだけ。彼女も生理による気分の変動にかなり苦しんでいたし、私もどうすればいいのかわからなくなっていた。支えてあげたいって思っていたのに、支えるには私の方が弱くて脆くて。余計傷つけることになってしまったのかもしれない。きっと死ぬまで私自身が理解することはできない苦しみであると思うし、あの時にどうすればよかったのかは今でもわからない。今となっては彼女の苦しみが少しでも和らぐことを、無責任に安全地帯から祈ることしかできない。
そして自分の事。私に何があるのかはわからないが、何もないという割には生きていくことがあまりにも下手で。提出物はいつも締め切りに出せなかったし、授業中はずっと寝てたし、大学は7年間通った挙句、卒業できなかった。日々の生活の中で自分自身をコントロールできない領域が多すぎて嫌になる。学生の頃、「普通になりたい、まともになりたい」ってよく泣いていたな。それでも、病名がついて配慮されるべきというほど酷いものではないと思う。この中途半端さに余計に苦しむことになった。最近は少し考え方が変わって、まともになりたい・変わりたいっていうより、今のままでなんとか生きていける方法を模索したいと考えるようになった。当面は出世とか結婚とか出産とかは考えないで、自分の心と体の健康を守りながら生きていくためにどんな方法があるのか探していきたい。
映画での二人の関係。男女の友情が成立するかはわからないけど3回に1回くらいは助けてあげられる関係。素敵だと思う。twitterを眺めていると生きにくいと感じているひとはたくさんいる。彼彼女らを直接支えたり、苦しみを無くすことは私には到底出来っこない。でもどうしようもなく苦しい夜に、明日が来てほしくない夜に一緒の時を過ごすことぐらいはできないだろうか。それで私も救われるから。
『眠れなくて、つらい夜。そういう人たちが集まり、焚き火を囲み、同じ場所にいればいい。深夜から早朝にかけて、社会が眠っている中で、焚き火の明かりの元に、無数の影が集まればいい。そうやって、時間をやり過ごす。話したい人は話し、聞きたい人は聞き、話したくも聞きたくもない人は、黙ってそこにいればいい。焚き火は、いつまでも燃えるだろう。何もかも、憂鬱な夜でも。』中村文則「何もかも憂鬱なよるに」
この一説が大好きで、こういう場所があればいいし、作れたらいいとおもう。憂鬱な夜をやり過ごす、秘密基地みたいな場所。
映画の感想というか思ってたことを書いていたはずが、別の小説の一説を抜粋していて、頭の中が全然整理できていないなぁと。それでも何かを書きたくなるのは、明日からの仕事が嫌で仕方ないからなのかな。