大往生。

187gm
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祖父が年始に他界した。数えで101歳。

認知症があったものの、他の病気や怪我はなく、12月後半から食欲が減り、最期は少しずつ呼吸の間隔が長くなり、息子に看取られながら言葉通り"息を引き取った"ようだ。大往生だ。

叔父に祖父について聞いた。

尾道に出生届が出され、愛媛で育ち、大学は早稲田の理工だったらしい。雑司ヶ谷に住んでいたとか。ロータリーエンジンを作りにドイツに行った同級生がいたとか。

結核?のおかげで戦地には行かず、大学を中退することになった。

なんやかんや経て親の勧めもあり?薬剤師になりどこかの機関に勤めていたが、祖母のわがままで国道沿いに薬局を開業した。高度経済成長の真っ只中、長距離ドライバーが栄養ドリンクを箱買いして繁盛したらしい。朝7時に店をあけ、23時に閉める。休みは月に1回、モーレツに働いたらしい。

観光バスが薬局兼住居のトイレを借りることもあり、祖母が激怒したこともあるという。

決して浪費家や見栄っ張りというわけではないが、家電など、一流のものが好きだったという。

早稲田に通っていたことを子どもに話すこともほとんどなかったのだとか。叔父が早慶戦をテレビで見ている時にふと祖母が漏らして知ったらしい。

祖母が倒れて入院してすぐに祖父は認知症を発症し、12年ほど介護施設にいた。

それでもジャージを嫌い、いつも襟付きのシャツを着てチノパンを履いていたらしい。確かに夏に会いにいった時も事前に伝えていたわけでもないのにそうだった。

あと施設でモテたらしい。一緒にご飯を食べようとする女性が2人?ほどいて、部屋に入ってくる方がいたとか。

自分の幼い頃の祖父の記憶は入れ歯を突然外したり、店のビタミン剤を飲んだり、お茶で口をゆすぐ姿だが、確かにシャツを着ていたかも。

晩年は施設の方に幼い頃の話をしていたらしい。

子を育てている身としては、死後にもう一度、子の晩年に生きられるのかなと考えると、その時に良い思い出としていたいとエゴが生まれた。

遠いし、ライブビューイングも見れないけど、それでも来てよかった。