写真家・ジャーナリストである岡村昭彦の作品集に写真史家の戸田昌子という方が言葉を寄せており、心に残ったのでノートにメモしていた。最近よくこの文章のことを思い出すので、少し長いけれどタイプしておくことにする。(岡村昭彦はヴェトナム戦争の写真で有名、1985年没。私が買った作品集自体は2014年に発行されたもの。)
「……1950年代のLIFEのカラーページをめくってみると、アフリカや中東の物珍しい写真の風俗が目を引くが、こうしたエキゾチズムは特にカラーページに顕著な傾向なのである。そこには植民地主義的な価値観を基準に、見るものと見られるものとの間に見えない境界線を引く意識が垣間見られるが、我々見る者に特権的な眼差しを持つことを許す思想とは近代という時代に顕著な物の見方と言えるだろう。写真家を読者のエージェントとみなすこうした物の見方が人間性というものに対するある種の楽天主義に貫かれていたことは言うまでもない。人間は未知の世界に触れることでものの考え方を良い方に変化させ、進化していくのだ、という考え方である。
しかし2010年代に生きている私たちにとって、もはやそうした楽天主義とは過去のものであり、映像体験による社会変革への期待などどいうものは崩壊し尽くしている。他者の世界とは我々を脅かす物であり、他者の世界を見ることは人類の知世の発展や進化を意味していない。他者は脅威であり、見ることは恐怖を引き起こす。(以下略)」
1958年に大宅壮一が使った「一億総評論家」時代というフレーズはSNS時代を予見していたと言われたりしているが、このフレーズの根底にも彼女の言う楽天主義は感じられる。(大宅壮一の著作や発言について簡潔にまとめた「TBS調査情報(雑誌)」の特集ページのスクラップがあったやに思うが手元に無く、おそらく実家にあるのだろうと思い今かなり歯痒い。)
引用はかなり悲観的な文章で、読んだ当時「なるほどね」と思ったからこそメモしているのだが、その後、2017年にMetoo運動が大きく広がったことは心に留めておきたいと思った次第です。