狂気の扉

1do1
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現実の人間関係にうまくいっている気がするとき、自分自身だと分かっている他人から「調子に乗るな」「何も通じていない」「いつか壊れる」と言われる。自分自身だと分かっているからまだ正気だけど、ここが壊れたときドッとヤバい気がするわけ。

すごく近くってわけじゃないけど、二・三件となりの土地くらいにはそいつがいる気がしていて、昔からそのせいで「発狂」に対する警戒心というか変な親近感というかが強めにある。端的にいうと興味といってしまっていいのかもしれないけど、実際にそこに至ってしまった人や周囲の人物のことを思うと失礼な気がする。

どこで読んだんだったか、1ページくらいのコラム的な文章だったか、戦後になってとても穏やかに碁などを嗜んでいた軍人がその時には発狂して死んだ(筆者と碁を打った後とかだったかも。記憶が曖昧)という文を読んだことがある。人間はそうなるのだと恐ろしく思った。いつか自分もそうなる。

かといって、発狂して死ぬほどの力強さがあるわけでもない。不思議なことですが。

いつか「そう」なったとき、私は世界中と自分自身につばを吐きかけながら汚物を撒き散らす方の人間になる。臓物ではなく。

それゆえに、健康でなければならないと考えている。健康である限り、ギリギリのところで扉を閉めていられるため。

あるいは、扉が壊れたときには私も臓物を撒き散らす側の人間になれてしまえるのかな。「死ぬべきだ」と自分自身だと分かっているはずの他人に言われ、実行に移せてしまうような。なりたくはない。決してそうはなりたくはないんですが。

ギリギリの縁を歩いていくしかない。健康と信じ続けることで健康でいるしかない。幼い頃からの狂気への興味を思うと、いずれ収まるべきところへ収まってしまう気はする。