ここ数年自室に一人でいるとき、なにか音がないと無理になってしまった。寝るときも音がないと寂しいのか落ち着かない。こどもの頃からなんらかの雑音があふれていた環境だったので、それも影響しているのかもしれない。
音を求めるとき人はなにに手を伸ばすのだろう。ラジオだろうか、テレビだろうか、音楽を流すための箱だろうか。いまの時代だと動画も候補に上がるだろう。ぼくはもっぱら某動画サイトで延々とゲームのゆっくり実況を流している。
昔はラジオ一択だったのだが、自分の中で許容できる音がかなり狭まってしまい、流せなくなってしまった。同じような理由でテレビの点けっぱなしも出来なくなった。
音なら何でもいいわけではないらしい。これが大変厄介だ。
新規の音があるコンテンツに気軽に触れなくなった。話題になってる映像作品、おすすめされたモノなど、手を伸ばすまでのハードルがとてつもなく高い。高くて高くて半分以上諦めている。
動画は基本、PCのモニターから音が出る。最近気づいたのだが、これだけ近い場所から音がするって中々無いよね。イヤホンを使う場合は除く。近すぎでそちらに意識を持って行かれるらしく、作業に集中できなかったり、作業自体に入れないことがある。作業の邪魔にならないように音量をかなり下げて流しているのだが、気づくと動画見てるんだよなぁ(意志が弱い)。
ぼくが書き物作業や、読み物作業のお供に最適だと思っているのはクラシックや劇伴などの、「理解できる言語が入ってないモノ」だ。この時点で矛盾している。寂しさを埋めるためのゆっくり実況(理解できる言語有り)と作業のためのBGM(理解できる言語無し)。
やる気が満ちていれば多少理解できる言語が流れてても苦ではないのだが、なかなかそこまでに至らない。書き物作業ならそれでいいのだが、本に手が伸びない。今年はインプットしたいのだ。本を読みたいのだ。紙をめくって文章を読みたいのだ。手の伸びる範囲に積まれた本を視界にチラチラさせながらぼくは今日もネットの世界を生きている。
本が読みたい。
本を読め、本を読もう自分。
でも気負うとヘタレるからほどほどにね。