句読点、打つの楽しいし、どこに句読点を打つのか悩ましい。
先日「マルハラ」とかいうぼくからしたらとんでもないハラスメントが若い人の中であるらしいことを知って絶句した。
ぼくは句読点を打つ。どんなところに書いても句読点を打つ。手書きの日記にも打つ。一言、単語にすら句読点打つ。そして、句読点打つの下手くそだ。ぼくの文章を読んだことある人たちならもうご存じだと思う。あと改行のタイミングも下手くそだ(ついでに言うと「てにをは」も下手だ)。でも、楽しい。
ぼくの句読点を打つタイミングは自分の音読(黙読)のタイミングで切っているみたいなのだが、なんか、独特なタイミングと打ち方だと言われたことがある。……そう? その人以外に言われたことないから「そうかなぁ?」ではあるんだけど、実際どうなんだろう? 良かったら教えて欲しい。
句読点には工夫が詰まっていると思う。句読点の無い長文は読みづらいし、パッと見の印象にも影響すると思う。みっちりした文章嫌いじゃない、むしろ好きだけど、威圧感あるじゃない。圧倒されて負けちゃうと閉じちゃう。そんな印象を柔らかくしてくれるのが句読点の仕事だと思う。
同じ文字が続いたときにも句読点を打つ。これも読みやすさへの配慮になるのかな? 同じ文字が続いて読みにくい時は句読点を打つってこどものころ習った記憶があって、それをずーっと実行しているんだけど、いまはどうなのかな?
ぼくの文章の書き方は小学校で習ったとこが下地になっている。だからどんな文章にも句読点付けるし、文章としてお見せする時は段落の一文字目は空白にしている。紙の原稿用紙に書くときは一行目の頭から三マスあけてタイトルを書くし、次の行、一番下を空白にして名前書くよ。会話文の鍵括弧最後には句点は打たないよ。括弧書きは句点の前に入れて句点で挟むのか、挟まないか未だに迷ってる。
こどもかよ。こどもだねぇ。でもその一文字目が楽しかったの、苦しかったの。何を書けばいいんだろう、書きたいことはあるけど上手く書けない、まとまらない。読書感想文わからん、わからん。そんな思いやこれからの葛藤を、白紙の原稿用紙にぶつけるんだなってのが楽しかったのだと思う。
句読点の謎と言えば、理系の人たちが出す日本語の横書きの文章、あれ句読点が「、。」ではなく「,.」じゃないですか。どっかの決まりで横書きの句読点は「,.」が正しいみたいなの見たことあるんですけど、変換めんどくさくない? っていつも思う。ぼくは読みにくいなって思うし、なにより入力どうやってるんだろうって変なこと考えてる。実際、いま打ち出すときにローマ字入力で、。打ったあとに変換したり、先に入力モード変えて打ったけど、めんどくさかった。めんどくさいじゃーん!! すこしずつ、日本語句読点になってるみたいだけど、統一しようよ、てんとまるに!
小説をはじめとした創作文章はよく「行間を読む」と言われるけど、句読点には行間よりももっと小さい間があって、そこにもこだわりなり、想いが詰まってると思う。……たぶん。
今回見かけた「マルハラ」とはちょっとかけ離れてると気がするけど、句読点好きな人間もいるんだぞって主張がしたかった。
文章の書き方、もっと上手になりたいなぁ。読んで、書いて、の日々を始めないとな。あ、でもまだシレン終わってないからそっちもやらなきゃ。うおぉおぉおぉおぉ!!!(たぬきが黄色いすてぃっく振り回してる)