言葉の弔いをする話し

ギンヤス
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「死語」という言葉が好き。

いつからあるか知らんが、古い流行りをちょっと揶揄してるような、ネットミーム的な生まれ方をしていそうな言葉の響きを感じる。センスがある。新しく生まれる言葉もあれば死んでいく言葉もある。当たり前だけど、言葉というものにさえ生死を見出す面白さが好き。

インターネット上で付き合いの長い人は、私がそこそこ年齢を重ねた奴だとお察しがついていると思うけど、この歳になると「この言葉はもう死語なのか…」と寂しい気づきが多々ある。

若いオタクの同僚と話した時、「禿同(はげどう:激しく同意の意)」と言ったら「懐かしい!その言葉死語ですよ〜!!」と言われ、私は死んでしまった禿同をそっと抱え、土に埋めたのであった。

新しい言葉ってどこで出会えるのだろうか、若いコミュニティにはなかなか出会えないし、あまり出会う気もない…

私はsnsの片隅で、もしかしたらもう死んでいる言葉を打ちながら呟いているのかもしれない。でも、それでも良いと思っている自分もいる。死語も使いながら新しい言葉もたくさん使いたいなと思う。

それが死語であったなら、コソッと今はこう言います、と優しくウザくない程度に教えて下さい。

あっ、エモはまだ生きています?

これからも新しい言葉が生まれ、その影でひっそりと知らずに死んでいく言葉も沢山あるだろう。そしてふと、その死語を思い出した時、懐かしさと一緒にその言葉の弔いをしてあげようと思う。