2026/2/26 17:41
当たり前だが引きこもっているので日常に代わり映えがない。
相変わらず仕事どころか車の運転も禁止されているし(これは昨日病院に行ったら慣らし運転からならという許可が出たけどまだ乗ってない)、四十肩も相変わらず一進一退だし、体力は常に赤ゲージなので家で何かやるだけで疲れる。簡単な家事とか、読書とか、最近再開した一次創作とか。だから16時から17時くらいになるともう電池が切れて眠くてたまらない。
今日はがんばって起きているほう。さっきまで久しぶりに(数年ぶりくらいに)裁縫をしていた。
昨日、新しい精神福祉手帳を前のと引き替えに受け取ってきたら一回り大きくて、今まで使っていたケースに収まらなくなってしまったので、買ったまま使えていなかったキッピスの布があったので思い立って簡単なカバーを作った。

全面みかんの布。かわいい。
寸法は測ったんだけどちゃんと作り方を見ずに作ったので折り返しがだいぶ短くなってしまって大丈夫かなと思ったんだけど、結局手帳の中身は見せなきゃいけないからこれで良いんだと思い直した。禍を転じて福となす。

ミシンが扱えないので全て手縫いなのだけど、縫い始めてからそういえばわたしはせっかちな方で不器用な部類だというのを思い出した。もう少し丁寧に出来なかったかと思うけれど遠目から見ればそれなりにかわいいので良しとする。
近くで見たら小学生の始めての家庭科の授業みたいだけど。
こうして考えると別に代わり映えしてないということもないのかもしれない。でもわたし自身は結局あんまりなにも変わってなくて、変わってるのはヒヤシンスの球根の根が増えて太くなってる、葉が大きく伸び始めてるだとか、紅梅が久方ぶりの雨で九割落ちてしまっただとか、暖かくなってきたから近所の猫達にも一斉に春が来て夜がやかましいのに気づくだとかで、肋骨を骨折していた祖母が退院してきて平気で一人暮らしを再開してるだとか、母が地味にパズルを作るのと違国日記にハマって見てるのだとか、父が春用の野菜を育てる準備を始めたとかそういうことで。
──いやそう考えると周囲も地味な変化だな。わたしのうすらぼんやりした『死にたい』を引っ張ってくる情緒不安定も最近は減ってきて、一次創作も地味に再開して、地味に変化はしている。今日だって手帳カバー、作ったし。
ただ、わたしが求めている変化が『普通の人』につながる大きな変化なのがやっかいなんだと思う。
『普通の人』。
『普通の人』って何って母にもよく聞かれるんですけどわたしにもよくわからない。
でも少なくともわたしみたいなひとではないと思う。
わたしはわたしじゃないひとに、とにかくなりたくて仕方がない。んだと、思う。
『平均値』になったことがないから。