「ブログ型」のコミュニケーション

273_dairy
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こうして日々何かしらのなんてことはない日常を少なくとも3日間以上は書き続けている時点で、自分はそれなりのおしゃべりかつ自語りしたがりな人間であるのだろうと思う。

その一方で、対人で話すことがあまり得意ではないという自覚もある。対人での「会話」に求めることが多いのだろうと思っている。例えば、キャッチボールにならない会話に対するストレスを過度に感じる。相手にそれをされることはもちろん苦手だし、私の場合はそれを自分がやりかけることがちょこちょこあって、それに気づいた時のストレスがまたかかるのだ。あとは物理的に人と話すと疲れる。普段ほとんど話さないのもあって、すぐに喉が枯れるのだ。シンプル虚弱。

話したいことはいっぱいあるが、人の時間をもらってまで話すことではないものが多い。これは相手を気遣うというよりは自分が後悔したりストレスを溜めたりするからという理由だったりする。何なら自分が後々に自分の話したものを振り返ったりすることに楽しみを感じることのほうが多いし、基本的に自分の取る行動は自己本位なものが中心だと自覚している。描きたいから絵を描く、文章を書く、やりたいからゲームをする、お金が欲しいから働く。労働は光。

その結果、ほぼ一方通行な発信が可能な「ブログ型」の媒体を好み、そこに僅かに発生したりしなかったりするコミュニケーション(コメントがついたら気が向いた時にそれに返事をする、リプライが来たらリプライを返す)から楽しみを時々得たりするようになった。

Twitter(ついついTwitterと呼び続けてしまう)やPixivや社内のSlackなどもこの媒体に近しい分類のSNSだと思っている。特定の人に向けたものではない言葉や絵などを気ままにおけるものであり、TwitterはさておきPixivや社内のSlackへと向かうにつれて適度な閉鎖感がありつつも自分を知らない通りすがりの人も一定数いるという親しみもありつつ気楽さもある空間へとなっていくように感じられる。

「親しみ(身内感)」+「気楽さ(匿名インターネット集合住宅)」が良い塩梅にあるor調整できる空間が自分は好きなのかもしれない。そこは、自分が得意で好みとするコミュニケーションの手段が取れてアウトプットものびのびとできるから。

おしゃべりだけど人間が苦手な、矛盾した自分の置き場所としては最適なのだろう。

@273_372
徒然って「ドッグラン」の象形文字なのかもしれない