どうしてこんなに心を揺さぶられるんだろうかと今でもぼんやりする。AWARDのメンバーセレクションで「ボクら」を選んだ重岡くんの言葉に。
大人になってきていろんな景色が見えてきて、答えだってひとつじゃないことがわかって。何て言うんでしょうか。「キミはキミのために生きるんだ」なんですよね。やっぱりねみんなには幸せになってほしいの、やっぱり。でも究極言うと、ボクらが変な話、変な話じゃないか。人っていつか死んじゃうから。目の前で流れてる景色は当たり前じゃないってすごく感じてきて。諦めに近いよね。諦めって1個の出来事でどんって諦めるんじゃなくて、小さなことを積み重ねて諦めていくねん、やっぱりなんかこう永遠じゃないから、いろんなものが。ていう意味で言えば、「キミはキミのために生きるんだ」って。幸せになってほしい。ボクたちの届けるエンタメで幸せになってほしい。でも究極は俺らがボクらがいなくても幸せになってほしいんすよ。そうなのよ。ボクらがいないとダメなんです~ むっちゃ嬉しい、泣けるほど嬉しいけど、ほんとはでも、そうだよね、うん。て言いたくないけど言える。思いたくないけどどっかでは思ってる自分もいる。でも実際そうだとはおもうよ。「キミはキミのために生きるんだ」。大人になるってたのしいぜ。
あ、そうそう、今はこうおもってる、だからね。これがすべてじゃない。答えはひとつじゃないから。でも今は俺はなんかそんな感じにおもってます
2024/2/25 もぎたて関ジュース(重岡)
ううん 苦しい。ほんとうまくいえないけど全然処理できない。なんだろうこの気持ちは。
重岡くんの「究極は俺らがボクらがいなくても幸せになってほしい」は確かに壮大な愛だけど、ナチュラルに出てきた「人っていつか死んじゃうから」からの「諦めに近い」っていう言葉が重すぎて全然消化できずにいる。わたしが何かあるといつも思い出す「人生は失っていく過程」がよぎってドキッとした。「諦めに近い」「積み重ね」というのは喪失から逃げずに向き合ったことのある人の言葉だ。重岡くんの根底にある死生観みたいなものに触れたような感覚があって、そこに至るまでの30年の人生を想像すると妙に苦しい。
この仕事が好きと言い切っていた重岡くんの理想が「究極は俺らがボクらがいなくても幸せになってほしい」ということなら、そこの矛盾にどう折り合いをつけてるんだろう?今もずっと矛盾を抱えて生きてるんだろうか?「キミはキミのために生きるんだ」と思ってくれる重岡くんは重岡くんのために生きられているんだろうか?とか思ってしまう。本当にダメ。
それでも重岡くんの「キミはキミのために生きるんだ」「究極は俺らがボクらがいなくても幸せになってほしい」は疑いようのない本心なんだとおもうし、もしかしたらいなくなってからも生きていけるように、幸せになれるように、形になるものを残そうと、曲を書き続けてくれているのかもしれないとおもう。その愛は泣きたくなるほど献身的で、それこそが重岡くんをアイドルのセンターたらしめる理由になる。
ボクらの歌詞はこんな風に続く。
「キミはキミのために生きるんだ」
「ボクはキミの陽だまりになる」
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【追記】
2/29のRECを聞いて、わたしはようやく重岡くんの発言を消化できた気がする
桐山「入院していましてね。心房細動ってなんか進行性の病気で、心臓焼いてん」
(中略)
のりさん「もう大丈夫なの?」
桐山「どうかなあ...(笑)」
のりさん「どうかなあって(笑)(笑)」
淳太「まあ徐々にじゃないですか(笑)」
何も知らなくて、衝撃で打ちのめされた。知らないことは当たり前のはずなのに。SNSで近況を追える時代、すべてを知っているように錯覚するけど何も知ってはいないのだ。そのことに打ちのめされもするし、救われもする。良かった、彼らは確実に「こっちを向きながら、追い付けないように走っている」。この距離感が、苦しくて愛おしい。胸が締め付けられながら、すごく好きだとおもった。
心配で心配で頭の中がぐるぐるしながら、ふと重岡くんの発言を思い出した。選曲自体はもっと昔に終わっていたはずだけど、もぎ関でのコメントは確実に照史くんの出来事を踏まえての内容だったんだとハッとした。だから「今は」と強調したのかもしれない。人の機微に敏感で何事からも逃げずに向き合う重岡くん。一番身近な人の生死に触れて、あれだけの強い言葉を使うくらい、深く深く考えたんだろう。それを我々に差し出してくれたことは、母性のような、報われないことを知ってもいる、途方もない愛だとおもって泣けた。
メンバーが病気と闘う中で、TGCにサプライズ登場したりバラエティを普段通り回したり、でも何事も心配いらないよーってニコニコしながらそうやって希望を与えてたなんて、改めて考えてもとてつもなくしんどい職業だ。彼らにも希望と愛を還したいけれど、同じものを還せてあげられる気がしない。どうしようもなく泣きたくなる。アイドルたちの優しさに救われて、わたしは今日も生きている。