旧ジャニーズ勢の2023-2024カウントダウン生配信を観ていてぼんやりおもったことを書き留めておく。
淳太くんは9月頃にヒルナンのレギュラーがなくなることを聞き、そのときは正直受け入れられなかったと言っていた。何かを失ったそのとき、失ったものにしか目がいかないのは当然だとおもう。悲しみや憤りを消化するのに必要なのは、ひとつだけ。時間だ。淳太くんも時間が経ってようやく飲み込むことができたと言っていた。
誰にでも大小様々な喪失が訪れるけれど、誰もが失ったその瞬間から、新しい可能性を得ている。失わなければ得られなかったものだ。そのことに気付くのが喪失から脱却する第一歩なのかもしれない。
大晦日にスノの生配信を見ていたとき、ふとそんなことを思った。紅白とカウコンを失った直後、他のどのグループよりも早く手を上げて配信のムーヴメントを先導していった9人を思った。ファンやアイドルたちも喪失感に飲み込まれる中、彼らは即座に自分たちが得たものに気づいたんだなーとおもってその強さに胸が震えた。
わたしはいつも何か大きなことがある度に、押井守監督の「人生は失っていく過程」って言葉を反芻して勝手に打ちのめされてしまう。でも2023年、わたしより多くのものを理不尽に奪われてもなお、キラキラと美しく輝く星であり続けてくれたアイドルたちは、「失うことでしか得られなかったもの」を教えてくれた。これは逆説的だけど、そうしてわたしは初めて、空白を見つめられるようにもなった。なんだかようやく人生を取り戻した気がする。
失うことでしか得られないものがある。時間がかかってもそこに気づけたら勝ちだと知った今、無敵な気分。2024年、絶対に良い年にしたい。失っても、そこで終わりじゃない。
P.S.
紅白を失ったジャニーズ陣は、彼らが見せたいものを自分たちで考えて、自分たちのチャンネルで配信するスタイルを取ったけれど、それは同時に自分たちに否定的な層は完全に切り捨てることと同義だなと、年越しから時間が経ってじわじわと寂しさに襲われている。嫌われていることを自認した上で、大衆に対峙し好かれることを諦めない姿勢が、わたしの愛してきたジャニーズらしさだったのかもしれない