再読。定期的の読む本の一つ。フランス人は10着しか〜同様、料理に関する著者の考えをもとに、ケジメある整った暮らしを読者に描かせてくれる。土井善晴氏の「一汁一菜で良いという提案」も同じように何度も読む。
考察は割としっかりしている本だ。この二冊を読み込んで実践すれば、生活がラクになり、整ってくると思う。私が目指す「暮らしの芸術」がそのまま書かれている。

このところ生活が変わってきた。ゲームをする時間がなくなったので、一旦頭から切り離した。すると、ゲームをする時間をなんとか作りたいという焦りが消えていく。執着しなくなるだけで随分楽になった。
その代わり、仕事終わりの夜は、ジャズを聴きながら酒をゆっくり飲んで読書をしている。自分のやりたい生活に近づいている。それだけで気分が良い。
美味いものを食べたいという執着が家庭料理を苦しいものにしていると、著者は考えている。毎日のご飯に悩む人は多いはずだ。本来楽しい悩みなのに、苦しめられている。ご飯を考え、作ることに悩み、片付けることに苦しむ。気分よく暮らすことからどんどん離れていく。暮らしの芸術とは?美しい暮らしとは?そんなものと無縁とさえ感じてしまう。
外食のご飯と家庭のご飯はまるで違う。塩分たっぷりで脳に衝撃を与える外食は、美味いだろう。だが毎日食べるには辛い。その刺激に慣れてしまうから、もっともっと刺激が欲しくなり、過激になっていく。味だけでは足りなくなって、見た目にもこだわり始める。盛り付けの美しさから、料理そのものへの美しさに移り変わると、いよいよ自然な食事から離れ、工業製品のような食事になっていく。これは食べ物?と思うような見た目(美しい見た絵であっても)の料理を食べるようになると、食べ物は自然の恵みということを忘れてしまう。
ヨーロッパ諸国とアジアでは、雑草の種類が一桁違うほど、アジアは自然に恵まれている。ヨーロッパの雑草は牧草になるものだから、人間が手を加える文化が育ったと思う。自然の脅威に恐れながらも、その恵みを受け取ってきたのがアジアだ。だから日本食(和食)は、手をあまりかけず、自然の形で食べることが多いのだ。
料理一つとっても、ここまで深く文化に触れることができるということを、この本は教えてくれる。日本は自然と共に生きて行く土地だと再認識した。自然との生活。人間の文化を控えめにして暮らすことは、日本での暮らしの美しさなのだと私は思う。自然に身を任せ、なるようになるアドリブの暮らし。私に足りないものだと気付かされた。