私がはじめて観たジブリ関係作品はおそらくパンダコパンダ。蔦屋に行くたびに借りて観ていた。あんなに竹がおいしそうに見えるアニメはない。実家の裏に生えていた筍狩りに勤しんだし、竹も齧ってみた。もちろん固すぎてあんなにパリパリと美味しく食べることはできず、己は所詮人間である事を思い知る。
アルプスの少女ハイジも母親が「私ハイジめっちゃ好きやねん」と全話ビデオテープに焼いてくれて、中身が飛び出るまで観た。ハイジがチーズを放置して遊びに出てしまい、家に帰ると鍋に焦げついたチーズを静かに削るオンジの姿を思い出しては血の気が引く。
もののけ姫の冒頭が恐ろしすぎて、家の廊下で祟り神に追いかけ回される夢を何度も見た。怖くて怖くてたまらないシーンと対峙することになってもビデオを借りて幾度も観てしまう。数年前に映画館でリバイバル上映をしていて、あまりの色の美しさに冒頭3秒で涙した。
千と千尋の神隠しを家族で観に行った際、どうして千尋の両親は豚になったのかわかるか?いただきますを言わずに飯を食ったからだと父から教育された。一人暮らしで食べる事が作業になってしまった今、このままではいつ豚になってもおかしくない。
風邪で学校を休んだ日、母がこっそり2度目のハウルの動く城を観に連れて行ってくれた。人生ではじめて同じ映画を2回観て、はじめての背徳感だった。ポスタービジュアルが発表された当時、いつもと少し違うデザインに新作は面白いんだろうか(今までは動物や人間がこちらを向いているのに、今回は草原に老婆の後ろ姿…!?)と子供の私なりに不安になったのを覚えている。もちろん全くの杞憂で劇場を出てすぐにサントラまで購入してもらっていた。学校に行くとキムタクの声に「なんかぼうよみ」などとみんなが不満を漏らしていたが、私はこっそりとハウルにメロメロだった。
ゲド戦記、怖かった。宮崎駿や原作者が激怒していてどうやら今回は不作らしい、と周りの人たちが言っていた。へえ、そうだったんだ。よくわかんないけど、映画って美しいだけじゃだめなんだね。でも竜は美しいし、なんて心に風が吹くような歌なんだろうと感動した子供の頃の気持ちは今でも残る。
ポニョは子供の頃観ていた記憶よりも、大人になって観た時の記憶が強い。まるで絵画のような画面が続き、線が生き物のよう。大学の同期がとても好きな映画。今でも夏になると必ずサントラを聴く。「嵐のひまわりの家」が好き。
アリエッティ、コクリコ坂、風立ちぬ、かぐや姫を観る頃には高校生になって、自分も絵を描いていた。将来ジブリに入れたら良いのに、と調べるが、もうスタッフの募集はされていなかった。藝大出身の美術の先生にはアニメのようなイラスト絵なんか描くな、と言い聞かせられる。
ジブリの完成されたファンタジーの世界観に浸る度、私は物語の住人になって終盤になるにつれ寂しくなるのだった。
風立ちぬの上映を迎える。物語の中にいたのは「私」ではなく「宮崎駿」だった。その初めての感覚に衝撃を受けながらも、すごく胸が熱くなった。駿は引退を宣言する。
「どうして絵を描くのか」というレポート課題が出て正直何もわからず、かといって出さないわけにもいかないので当時動物と自分のツーショットを描いていた自分は「絵の中だったら自分の夢を叶える事ができる」という内容で提出した。大して良い絵は描けなかった。
マーニーやレッドタートルを観る頃には大学生になり、東京にいた。
レッドタートルを監督したマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットの短編作品を大学のライブラリで見漁って(まじで超最高)万全の状態で劇場に行くと、新宿tohoなのにすごく小さな部屋で、全く人が入っていなかった。津波のシーンがあり、日本人にはまだそれを受けいれられるほど余裕がなかったのかもしれない(受け入れられる日など来ないと思うが)。作品として確かに凄まじく良かったが、今でも人とは語れない。
そろそろ進路について考え始める中学生の妹から「将来の夢」を聞かれ、何も答えられずふんわりと話を逸らした。人や社会に対しての疑問や不信感が肥大化しすぎたその頃にはもう、ただただ目の前にある現象に対し、手を動かすことしかできなくなっていた。己の成すことさえもハリボテのように見える時があった。
ある日、夢に高畑勲が出てきて、久しぶりにかぐや姫を観たくなった。私はあの作品の恐ろしくなるほど淡々とした冷ややかさが大好きだ。その日、作業の休憩にSNSを眺めていると、高畑勲の訃報が流れてきた。
学部卒業を控えた頃、この人の近くでまだ思考を続けてみたいという理由だけで2年間とある教授と先生の元に残ることにした。とにかく手を動かし続ける日々。自然と感覚が近しい人が周りに集まり、学部4年間で硬化した棘は少しずつ柔らかくなっていく。
静かに燃えて、晴れやかだった。作品を作りながら考えを整理する中で、様々な人との奇跡的で強固な縁により手を動かすことのできる仕事に就く事になった。
そして2023年夏、「君たちはどう生きるか」上映。
やっぱりそこには「宮崎駿」がいた。そして、「私」もいた。
ジブリを観て育ち、今この歳とタイミングで観ることができたことに感謝している。宮崎駿の人生に想いを馳せてしまったし、幼少期から今、そしてこれからの自分へのバトンを貰った感覚になった。
選ばなかった人生についての夢をたまに見る。やっとの安寧に浸る日もあれば恐怖に逃げ惑う日もある。「後先ないよ」と絶望する日も多いけれど、目が覚めた時、目の前にある風景に後悔は無い。
私はこれからも石を積み続ける。