絵を見る

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あなたはどうして絵を見るんですか。

なんというか愚問。脳の調子が悪い時、タイミング悪く会話をしてしまった人に聞いてしまう。普通に怖すぎる。そろそろ被害者の会が出来てもおかしくない。みんな優しいので真摯に答えてくれる。ありがとうございます。今後も聞いていきます。

でもどうしてもふとした時に気になる。だって人が絵を見るのって改めて考えてみると不思議で面白い。私は昔から好きに絵を描いていて、描くという事は行為として生活にあまりにも溶け込んでいるものなので、だからこそ他人にとってどうしようもないものをどうしてわざわざ見てくれるのかわからない。(自分の絵のことは結構好きなので謙遜ではない。)

日頃からものを作る人が絵を見るハードルは低いし理解できる。全くの他分野だけど絵を見るのが好きな人にとても興味がある。見るのが好きと言ったって、なんで好きなの。一体どういう風に見ているんだろう。私が育った環境には絵を見る人があまりいなかったからわからないんだろうか(県内の美術館の存在は高校生になってから知った)。

幼馴染を良かれと思って椅子の展示に連れて行った事がある。その時「なんで椅子を見るの?」と聞かれた。楽しい楽しくないとかでもなく、奇妙だったらしい。家具や建築物を見る事は自分の思考のヒントになるという事、そもそも単純に美しい形を見ると心が潤う。そして、この家具があるまばゆい空間に想いを馳せる。幸せな空想が私を待っている。幼馴染にとっては生活にあるものを改めて「見る」ことは不思議な行為のようだった。いや、そうなのよ、生活に当たり前にあるものを改めてじっくりと見つめることって実は凄く不思議だよね。わかる。

人類にとってはじめての絵画は洞窟壁画だと認識している(美術であろうと勉強は苦手なので間違えていたらすみません)。当時の人類にとって、絵画とは伝達に近かったように思う。現代では枝分かれを重ねここでは書ききれないほどムーヴメントがあって、それによって描く側も鑑賞者側も態度が違ってくる。現代アートはもはや視覚表現を前提とした読みものとすら思えてくるし、その読みものを「映え」にしているギャルたちもまた別の立ち位置にいる。「見る」は「読む」となり、その「読む」にも幾多のレイヤーや矢印が存在し、一つの終着点として「映え」となり「見る」に戻ることもある。

表現というものは何かを「伝える」が表面上で先行しているように感じるが、分野が違えど人間が何かをしたら表現となり、追いきれないほどの点と点で繋がっている。足を伸ばして他分野に触れてみた時、意外と普段触れているものと構造的には一緒だな〜などと気付きがある。一方で、私はよくFAを描くがこの狭い範囲内にも「FAを通して本家を見ている人」「FAで何を描いても本家に関するものであれば何でも見る人」「絵描きが描く絵と本家を照らし合わせながら見ている人」「絵描きの絵を見ている人」など、はっきりと分かれる。見る側は無意識で構わないと思うが、描く側は様々な理由により意識的でいたほうが良いような気がしている。

直接人と交わることが苦手だ。長年の訓練、もしくは呪いによってある程度形を保てている風を装えるようになったが、やはり人対人になると何もわからなくなる。ほとんど悪気がなくて、傷つかなくても良いのに、なぜだか落ち込む事ばかり。自分が人である事をまざまざと確認する作業だけがそこにある。

それでも私は人のことが知りたくて、かわりに絵を見たり、文章を読んだり、写真や映画を観たり、その人が訪れた風景をゆっくりとなぞる。時折気配を感じると心温まり、寂しさを覚える。この時間には、ひんやりと冷たくて、心地のよい孤独がある。私が絵を見る理由のひとつはこれなのかもしれない。

話を広げすぎた!まとまりのない文章をお許しください。多分この類の話題はきっと本に書いている人がいる。それを読んでもいいのだが、間違っていても良いから自分で考えてみたい。わかりゃええというわけでもない。だからある時誰かに聞いてみる。

あなたはどうして絵を見るんですか。ぜひ教えてください。

@300yenmade
絵や映像を作ります lit.link/300yenmade