私は小1の長女にクソバカヤロウと何度か言われている。お前、手前と何度も言われている。言葉遣いは良くないが、関係性として特に問題を感じていない(それでいいのか?)
とにかく、なんせ子供がそのようになっているのだから、素の私の作る関係性とはそんなもので、実際に自分が直接認識している周囲との関係性は、大学まで一貫してそれぐらいだった。真面目に物事をリードする場面もあったが、あらゆる場面で常に対等であった。それは例えば学校の教師に対してもそうだった。私自身、敬意はあったと思うのだが、とにかく対等な存在であるという事については全く譲らなかった。私は学校の先生をしょうもないとは思わなかったというか、父の表現のような人として劣るような見方はしなかったが、しかし間違っていると思うことや非効率と思うことに従う気は全くなく、あらゆる物事を対等な立場で検討した。
子供から年長者まで、とにかく人は対等であるというのが私の根幹的な考え方の一つなのだろう。相当に根幹的な。それで、逆に対等でない関係がわからない、という事がわかってきた。今までも理屈としてはわかっていたはずだが、いよいよ対等でない関係(を相手が感じている場合)においてどうすれば良いのかがわかっていない、というより対等でないと感じられていない事がやばいのだろうと感じ始めている。これは私が得意というか、常に年長者と対等で、なんなら"戦う"ということを少なくとも小学生の頃からやっているので、普通の感覚が本当に何もわかっていない。それで、普通の感覚だと上司への感情はどうなるのか、特に普通の若手男性の感覚における上司ないし先輩とは、という事が全然わからないのだと感じている。
よく考えてみれば、そうなのだ。会社の上司に対しても、敬意をもっていたし今でも好きだが、しかし一方で対等でないと思った事は全くないし、むしろ二年目の時に「みんな社長と対等になれ」と10年以上歴のある上司たちに説教していたのだ。当時で25年以上の歴のある社長と対等になれ、と。これ、まじで頭おかしい気がするが、私は平気で「みんな対等になろうとしてないだろ」と言って回っていたし、その後も何度か似たようなことを爆発して言っていた。私に仕事の仕方を教えた重要な上司はある日の議事録を見て「(私が)壊れたかと思った」と私に直接言っていたが、たしかに敬意と意見は根本的に別ということで意見はなんでも言っていた。だから「不幸生産工場」という言葉が生まれた。敬意を持って。
そのようなクレイジーな感性なので、普通の若手男性の感覚が本当に全然わからないのだ。いや、女性なら分かるかというとそんな事はないが、ただ一般論としておそらくジェンダー起因で、良くも悪くも対等を維持する人との付き合いにそこまで相手方の苦労がないのだろう。むかし後輩に対等というか平等である事を褒められた事すらあったし、理屈で考えてもそれが正しいと思ったので、裏表なく対等な一つのモードだけで生きるのは信条になってしまった。今でも裏表があるのは卑怯な事だと思っている。常にどこでも本音で生きる。
そうか、男社会って実はフラットじゃないんだー。この文書は全体の構成を何も考えずに上から書いているので、今本当にただただ驚いている。私がうまくいかなかったパターンの多数において、相手方はフラットじゃない関係性しか知らなかったのだ。そこにドフラットな関係性構築を求めに行くと、そりゃあ破綻するのか。初めて正体が分かったかもしれない。まさに私がカッコ悪い生き方と思うものを、カッコイイと思っているというか、もっと正確に言えば「処理可能な対人関係のセット」として保持しているのだ。
例えば、先天的な能力あるいは"身分"だけを尊敬せず、配られたカードでどう生きるかという価値観。上司であっても常にそう見るということ。それ以前に、ただ上司であるというだけで敬うようなこと。上司だから敬うというのは極めて当たり前かもしれないが、私にはそのような価値観が全くないので、中身を見ずに敬うという事は決してない。いや、本当の中身が見えるような事はないが、何か敬うポイントがあれば概ねそれだけで敬えるのだが、それを見つけられないとただ敬うということはない。これは見下すのとはだいぶ違うが、しかし受ける側からは見下されているように感じられるかもしれない。極端に誇張して言えば、単に上司と部下という関係ないし"身分"による敬意を向けられるだけで怒り出すのが私で(それは私が決してそうなりたくないと思っているから)、語弊を恐れずに言えばそのような敬意は天竜人と一緒だと思っているのだ。ルフィの偉い人に対する態度などが、まさに私の思う正しい在り方なのだ。レイリーに感謝するし敬意も持つがあの態度、ハンコックに感謝するし敬意も持つがあの態度、一方でコビーも認めるし、ウソップも対等に扱って決闘する。努力の伴わない能力、それはすごいとは思うが、単にすごいだけだと思っている。今年、ワンピースで一番イケてる女性は私の中でイーダになった。シャッキーよりも。シャッキーも相当イケてるのだが、ハラルドを叱り飛ばすあのイーダが良い。
私は別にその価値観を強要している訳ではないのだが、ただルフィと同じようにその意味の敬意を理解ができないので、権威に対する敬意みたいなものを彼らの望む形で処理できない。もっと言えば、根本的に何を望んでいるのかすらわかっていない。多分、同性の階級の中で上に敬意を向けた時に期待されるリアクションないし持つ感情というものがあるのだが、私はそれを文字通り全く理解していないし、それが必要な環境を避けてきてもいるのだ。そう、強要はしないし、自分と異なる考え方を持つ背景は普通に理解できるし、そうした事も含めてそれもコイツ、彼が生きるためにこの処世術が必要になった、という私なりの受け止めでコイツを愛してはいるのだ。私は比較的人を憎む事が少ないように思う。憎い人というものがほぼいなくて、どこかしらは好きかなという人が多数のように思う。そのような意味で、他者が権威を大事にする事をネガティブに受け止めてはいない。でも、自分に彼らの期待を向けられた時に、期待されている処理ができていないのだ。例えば褒めるという事について、私は誰かが価値のある事をしたらいくらでも褒めるが、自分を褒める人を褒める・重用するとか、お世辞をよく扱うとか、そういう事が一切ない。お世辞をありがとうぐらいには思うにしても、それを褒めたり、お世辞によって良い扱いをしたりということは全くない。真の貢献ないし真の成長をすれば評価するし手放しに褒めるが、対人関係で自分を敬う事を褒めるという事はないのだ。彼らからすると、すごく重要な処世術だと思うのだが。この一般的なプロトコルの最初の部分で、私の方では致命的な問題は起こらないが、返した400(Bad request、サーバーが処理できる形式ではないリクエストを送信したときのエラー)なのか何かのレスポンスを受け取る側でおそらく深刻な問題が発生するのだ。もちろん、ワンタイムの話ではなく、常に400レスポンスする積み重ねによって。
尊敬されていることを理解して、また尊敬されていることを直ちに否定しなくても、私が理解できない様式の作法で敬意を表された時に彼らの期待する応答はできない。だから、逆にバリバリ階級的な現場をこなしているメンバーだとうまく処理できそう、という直感があったのだ。あのメンバーたちと飲んだ時に、隣で飲んでいた他所の訳のわからない人と彼らが悶着になっていたのも、権威性をゼロから登って取得していく事への否定が一番大きかったのだろう。普通に考えれば上司のはずの私が上司ではないと理解される事がしばしばあるのもそういうことだ。自分が否定されていると感じる人がいるのもそういうことだ。プロトコルが通じなくて"偉い上司"になれなかったのだ。彼らの中で。
これからどうする、とかは全くない。今更コミュニケーションスタイルを根本的に変えるつもりはないが、原因がわかったことで打てる手は多分ある。少なくとも、こういう事象だと説明する事はできる。かつ、そのスタイルが正しい場面もたくさんある。私がこのような事を考えて書き始めたのは、ソフトウェアエンジニアリング協会のdiscordで、中国系で情報共有が日本より盛んなのはある種の対等・平等性が寄与しているのではないかという仮説を見たからで、その平等性は私の考えと似ているし、実際私は年代を超えた権威すら否定して生きてきたな、と思って考えを進めたのだった。こんな展開になるとは全く考えていなくて、ただ直感に従って文を作っていっただけだったが。
要するに、何の話か。これはワンピースの話であり、もっと言えばブルーハーツの話で、自分に使うべき言葉でもないが、でも客観的にそうとしか表現できないな、と思って敢えてこの言葉を選ぶことにした。最高にロック。