この年末年始は、久しぶりに実家に帰ってきた。父方の祖父の体調が芳しくないとのことで、顔を見せに帰ろうと思ったのだ。
じいちゃんは足腰が弱っていくにつれてますます身体を動かさなくなり、今では歩けるのかどうかというくらいで、リハビリをしているようだった。頑固で威勢の良いじいちゃんが声も言動も弱々しくなっていたのは、やっぱり寂しい。いつも帰省するたびに「がんばらんね」と説教をしていたあのじいちゃんが。
あと2年で100歳、がんばってや、と声をかけた。また近いうちに顔を見せに帰るだろう。
母方の祖父は少し足が悪くなっている以外は相変わらずでよく喋る。まだまだ農作業をしているのがいいんだろうか。母方の祖父家にいる猫たちとも2度目のご対面。人懐っこい方の一匹がすり寄ってきたり遊んでくれーと鳴いたり、とてもかわいい。少しじゃれて遊んだ。しかし猫の気まぐれさも少し思い知る。もう一匹は相変わらず警戒心が強い。
妹も帰っていて、久しぶりに家族4人揃ったけど、実家、もとい父方の祖父家に祖父がいないというのも不思議な感じだ。
僕は、ここ1ヶ月くらいの不調であまり食べてなかった分ここぞとばかりにたくさんご飯を食べた。食欲はある。大丈夫。
情けないことにほとんど家事の手伝いをしてこなかったので、このままではアカンと思い母の隣で皿洗いや拭きものをする。お雑煮の昆布とスルメイカを小さく切ったり、買い物に付き合って車を運転したり。手伝いといってもだいぶささやかだけど。母もおれには甘い。もっとガツガツ手伝いに行かないと母もおれにあれ以上頼まんことを悟る。お世辞にもたくさん手伝ったとはいえないけど、起きてから布団に横たわることなく何かしら動いて過ごせたのはよかったかもしれない。夜も、24時には床に入っていた。そんな時間に寝落ちしてしまったりもした。
家族全員でTVを見るということはなくなり、もっぱら両親が見る程度。ついに実家に導入されたWi-Fiをつないで新しめのTVでAmazon Primeを開いて映画を見たりして過ごした。父も昔と違って録画した番組をよく見てたな。HDDの中身に父の趣味や興味が表れていて、知らなかった一面を少し垣間見る。個人的にはちょっと受け入れられないものもあるけど、そりゃあ違う人間なのでそういうもんだよな。母や妹とも然り。
あとは、持ち帰ったギターを弾いた。寝てばかりいた先週までよりいろいろしている。何かリセットされたような気持ち。何もしたくない、というような憂鬱感は失せた。このまま過ごせたらいいなと思う。
自分自身は平和に過ごせていたけど、大きな地震が起きたり飛行機の事故があったり、打ちのめされる出来事が新年早々続く。正月だからといって地球の側には何の関係もなくて、容赦ない。夕飯時にTVを見てると、東日本大震災のような物々しい雰囲気で、この切迫したムードにのまれたくなくてTVを見ずに部屋で過ごした。ツイッター(と未だに呼んでしまう)も一部荒れていて、うんざりする気持ちをかき消すためにギターを弾いた。他人事ぶってる外野の人たちが過去の事実を捻じ曲げたり、あれは無駄だやめろ迷惑になるなどとまくし立てたり、はてあなたは何者なんだろうと思う。無事を祈り、寄付をしたり支援に出向いたり、それができなくても少なくとも自分たちは余計なことは言わずにいることはできないものだろうか。僕は、たいしたことはできないかもしれないけど、少額でもいいから寄付しよう。命が助かることと、少しでも快適に過ごせることを願う。
まだまだ目を背けたくなることもあるけど、そうもしてられない。もう一度、生活をしようという気持ち。
関西に帰る。