知らせは突然だった。入院しているじいちゃんが、肺炎で緊急入院したから備えておくようにと、母からLINEがあった。確かにじいちゃんはもう100歳近くて、去年転倒して骨折して以来入院していたのは知っていたけど、何か大病を患ったわけでもなかった。ただ、身体は日に日に弱っていて、年末に会ったときも、初めて聞くのではというくらい弱気なことを言っていた。それでも、自分にはまだ現実感はなかった。
翌日、いくつかの連絡のあと、亡くなったと知らせがあった。あっという間だった。心の準備も何もない。やっぱり、実感もなかった。今月のひどい金欠により夜行バスで帰るつもりだと連絡して、その日の仕事を定時で上がらせてもらう。週末に会う予定だった相方にも連絡して、会いに行こうかと言ってくれたので少しだけ一緒に時間を過ごす。そこでやっと、悲しみがじわじわとやってきた。それまでは、なんでこんなに実感が湧かないのか不思議だった。ばあちゃんが亡くなったときとの違いといえば、脳梗塞など患ってから身体が不自由になっていたこともあって、いつかその日が来るんだろうという心の準備はなんとなくしていたんだと思う。じいちゃんの場合は、弱っていたとはいえ、ただ、高齢だったというだけだ。ホントに?という感じだった。なんでだろうと思っていたけど、じいちゃんのことを思い出すうちに、徐々に悲しみが心に広がっていった。
翌日の午前中には実家に着いた。亡くなったじいちゃんと対面したけど、とくべつ痩せ細ってしまったようにも見えず、お化粧を施されてより血色も良く見えたので、ますます亡くなった気がしなかった。正月以来の、ここ数年だとありえなかったペースで、家族4人が揃い、特にじいちゃんの話題も出さずいつも通り昼食を食べる。夕方には、近くに住む母方のじいちゃんを迎えに行きお通夜へ。親戚や、ご近所の方たちが参列していた。じいちゃんの兄の息子にあたる親戚のおじさんと、今までで1番たくさん話した。ばあちゃんがなくなった頃あたりから認識し始めた、煙草をくゆらせる姿がダンディなおじさん。ずっと気になっていた家系の話などを聞いたけど、結局ルーツなんてものは何通りかあるもので、真相は謎のままだった。確かなのは、熊本にルーツがあるらしいということくらいだった。
そのまま斎場泊。父も母も、自分が見張り番をするから寝とけと言い張るが、35歳にもなって、親族の葬儀も何度目かになるのに見張り番もしたことなけりゃ葬儀の雑務も何もしたことがないのはどうなんだという気持ちが自分にはあったので、おれが見張り番をするからと言い張って数時間会場で過ごす。相方が朝方までLINEで付き合ってくれて助かった。何度かじいちゃんの顔を覗き込んだけど、やっぱり亡くなったようには見えなかった。目を覚ましてきてもおかしくないとさえ思った。未明、母と代わり就寝。
葬儀当日もあっという間だった。疲れだけがあった。いざ葬儀が始まり、最後に花を手向けるところになって、ようやく、目頭が熱くなった。ついに最後なんだ。この、よく知っている姿のじいちゃんを見られるのは最後。笑顔が見られることもないし、口うるさい説教を聞かされることもない。子どもの頃、みかん採りや筍掘りに連れて行ってくれたこと、川遊びに付き合ってくれたこと、いろんなことを思い出した。どちらかというとじいちゃんっ子で、たくさんの時間を一緒に過ごした。いま思えば、所謂九州男児っぽいというか、真面目で頑固な人だった。大人になってからは、鬱陶しさすらあった。じいちゃんのような性格をいくらか受け継いでいることにも嫌気がさしていた。その真面目さの影響も受けてか自分の不出来を恥じてもいたし、そうして拗らせてしまった部分も大いにあったと思うから。それでも、当たり前ながら、じいちゃんがいなければ父もおれも生まれていない。もし戦死してしまっていたら、おれも今ここにはいない。棺を閉じる前に、父が最後に「お疲れ様でした」と声をかけた。
火葬もあっという間だった。骨になるまでの待ち時間を親戚と話したり休んだりしながら手持ち無沙汰に過ごしただけ。東京から飛んできた母方の伯父さんは唯一マスクをせずやってきて、相変わらずマイペースに喋り倒していた。こういうところは母方のじいちゃん譲りだ。火葬が終わるも、やはりあっけない。あっという間にこんな姿に。早すぎて残酷だ。あと1日欲しかった。喪失をかみしめて、悲しみを味わう時間がもっと欲しかった。何もかも、あまりに急だった。すべてが終わり、解散。
これからどうなるんだろう、と、少し考える。あっという間にじいちゃんもばあちゃんもいなくなり、大きな家には両親だけ。母方のじいちゃんはまだ健在とはいえ、さすがに大きな変化になるだろう。娘を連れて帰ることもしばらく叶わないだろう。おれも妹も遠く離れて暮らしている。実家に帰ることも、全く考えていない。それはおろか、まともに自立して生きていくことさえ、未だままならない。真面目に自分の人生を生きていくことも。どこかでまだ、自分の人生を真面目に扱っていないようなやつだ。ゆるやかな鬱状態というか、長い間無気力に過ごしている。それが、これをきっかけに劇的に変わるのかどうかは、わからない。ただあるのは、自分の命を投げ出すことだけはないように、という気持ちだけ。今もときどき、ふとした瞬間に、もうどうでもいいやって、そういう考えが頭をよぎることはあるけれど。それでも。
じいちゃん、98年間、お疲れさま。
今までありがとう。
亡くなった人に向けて作られた曲ばかり聴いていた。もう少し、喪失や悲しみをかみしめていたかったんだと思う。
Okkervil River - Okkervil River R.I.P.
ユニコーン - HELLO