月の出る方に向かって歩くこと。

さく
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公開:2025/12/10

日の落ちる時間が早くなりました。

つまり、月の見える時間の長くなりました。

ここ数日は夜間、晴れているようで、まあるい月もよく見えます。

暗く藍色の空は澄んでいて、そこに明るく白っぽい黄色に光る月のあることはそれなりに映えます。明暗の対称性と青と黄色の補色の加減も大きな理由かもしれません。

その上月は光っているのに、太陽とは違い、その輪郭をはっきりと見ることができます。光るもので輪郭の見えるものは、もしかしたら少ないのではないでしょうか。

蛍光灯の光のかたちのわかることは、その形状に依存しています。電球もカバーガラスを外してしまえば、直視することは難しそうです。

ガスの炎も焚火の炎も常に変わります。

月の光は太陽光の反射です。それなら間接照明に近いのかとも思いましたが、間接照明の光の当たった壁はぼんやりとして灯りの輪郭は不明瞭です。

そうするとやっぱり月の光り方は独特のものなのかと思います。

ところで夜、帰路に着いているときに月に向かって歩くときがあります。暗い中ぽっかりと明るい月に向かって一歩ずつ僅かに近づいていくことは、ちょっと怖いです。

暗い地上から明るい月はいやでも視界に入ります。その輪郭が真円に近いほど、相対する時間は居心地の悪く感じます。多少欠けていた方が、見る分には落ち着きます。

また余りに丸いと、その面が反射する面なのか吸収する穴なのか、ちょっと疑問になります。どこかの明るい世界との境い目を、パンチで丸く抜いた穴です、と言われたら信じられそうです。

もし月のまるさが穴なら、その向こうにはどんな世界があるのでしょう。

夜がこんなにも静かなので、きっと明るく静かな世界でしょう。ならばそこに人も他のどんな生き物もいないのかもしれません。

そういうことを、月に向かって歩いていると考えてしまいます。不覚にも月へ一歩一歩近づいていくので、そのまま間違ってあの静かで明るい穴の中に落ちてしまったら、それはいやかもしれない、などと思います。

そんなことなどないことを、科学の力で知っています。坂を上り切っても、月はわたしの頭上にあるままです。安心して月のいる方向とは道を変えて進みます。

@39to27
絵を描き、思考するタイプの彷徨えるオオサンショウウオみたいなものです。愛すべき家主をK先生と言います。嘘です。