歪だったあの頃の話とか/ケーススタディ

深山
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公開:2024/12/18

先日BlueSkyに投稿した話。

小学校1年生の子供がいた。その子が見ていたNHKの英語教育番組では番組の終わりぎわに視聴者から寄せられたお便りを紹介していた。

絵を描くことが好きだった子供は自分もお便りを送りたいと思い、お便りコーナーで数秒表示される宛先を数日間かけて紙に書き写してその裏に絵を描いた。

子供は郵便の仕組みを正しく理解していなかったが、「ポストに手紙を入れると遠くに届けることができる」程度の認識はあったため、描いたそれをポストに入れる機会を伺っていた。

ややあって、その手紙が子供の親に見つかった。

宛名面を見て子供がテレビ番組宛に手紙を書いたことを理解した親は、それを当時同居していた親戚にも見せびらかして笑いのタネにした。

「テレビに手紙なんか書いてる」「切手も貼ってないのに送ろうとしてる」というようなことを吹聴して回って、その場が大いに盛り上がった。

盛り上がって、そのまま終わった。

手紙が送られることはなかった。

その後大人たちがいつまでそのことを覚えていたかはわからない。笑われたのはその場限りで、二度と話題に上ることはなかった。

そして20年後、ふとそんなこともあったなと思い出したいつかの子供によってその出来事はインターネットの片隅に放流された。

当時のその子は何を思っていただろう。たぶん真っ先に感じたのはワクワクしながら描いた絵を番組に届けられない悲しさだ。子供は絵を描くこともそれを人に見せることも好きだったから、それが叶わないことに失望したしたはずだ。次に笑われた悔しさと恥ずかしさを感じただろう。純粋な思いから起こした行動や郵便の仕組みを知らないことを馬鹿にされた挙句それを親戚にまで言いふらされたのだから。

その時の悲しみや傷つきが長い年月を経ても蘇ってくることから、子供にとってそれがどんなに辛いことだったか窺い知れるだろう。

さて、20年の時が過ぎて子供は大人になった。大学の教職課程を経て教育を、そして人間の発達について学んで教員免許を手にした。大人たちに一方的に笑いものにされてただ悔しさや悲しさに声を殺して泣く子供ではなくなったのだ。

その知見を踏まえて自分が親だったらその子供に何をしてやれるか考えてみた。

※エビデンスを列挙して論じる場所にはしたくないのであくまで一個人の仮想として

まず子供の「手紙を出したい」という気持ちを肯定する行動をとる。「⚪︎⚪︎(番組名)にお便り書いたんだ、いいね!」「一緒に⚪︎⚪︎のみんなに届けてみようか」と声をかける。

それから郵便の利用方法を説明して切手と封筒の存在、その役割を教えるだろう。郵便の仕組みを絵や図を使って説明するのもいい。

切手の裏にははじめから糊がついていて、水で濡らせばそのまま貼ることができることなんかは小学生にとっては面白く感じるかもしれない。

封筒の右上の枠に郵便番号を書くことや宛名を真ん中に書くこと、左上に切手を貼ることを伝え、一緒に実践し、子供の描いた絵を封筒に入れたら封は子供に任せてみる。

それから自宅から一番近いポストに一緒に行き、投函する。

その後で、「⚫︎⚫︎(子供の名前)のお便りはとっても素敵だけど、⚪︎⚪︎のところには世界中の子供たちからたくさんお手紙が届いているから、もしかしたら放送時間内では紹介しきれないかもしれないんだ。でも⚪︎⚪︎のみんなはちゃんとお手紙読んでくれるし、⚫︎⚫︎がお手紙をくれたことをとっても嬉しく思ってるよ。」とでも申し添えて子供のしたことの意義を讃える。

その後で、この先も手紙を出したい時は自分に声をかけるように伝えるだろう。

これによって

・子供の「手紙で伝えたい、コミュニケーションを取りたい」という思いを肯定して社交性を育む

・郵便の仕組みを学ぶ

・手紙の作成から投函までの一連の作業を成し遂げることによって達成感と成功体験を獲得する

・わからないことがあれば親が助けてくれるという安心感を与え、信頼関係を築く

といった効果が期待できる。

30分の夕飯の時間で子供の書いた手紙を笑って馬鹿にすれば消えない心の傷が残り、30分かけて一緒に手紙を出せばこれだけの学びがある。

だから私は「教育」を面白いと思うし、子育てが、正しく親の役目を果たすことがいかに大変かを常に想像する。

この文章を読んだ真面目な親はプレッシャーに感じてしまうかもしれないが、少なくとも20年休まずに子供のやることを馬鹿にしたり、否定したり、笑いのタネとして消費しなければこんな文章を書く大人に育つことはないのだから過剰に心配めされるな。あなたはよくやっている。

これはまっとうに子供でいられなかった故にまっとうな大人になれなかった何かのぼやきでしかないのだ。

そしてそんな「大人のような何か」として、今自分にしてやれることは

あの頃大人たちにされた酷いことをきちんと認識して、自分で自分に対して再現しないことだろう。

それから、親になるつもりは全くないけれど、子供と関わることがあったら経験をフルに活かして善い大人として接することだ。

そんな泥中の蓮のような者になれたら、あの子供も浮かばれるだろうから。

@3yama94
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