明けましておめでとうございます。
こちらは1/1にした労働で脚を痛めてから1/4までつづく3日間の長期休暇を謳歌しているまっ最中。
ふと気になって2025年に仕事のなかった、いわゆる「休日」の日数を数えたら72日だった。昨年は年末年始とゴールデンウィークを除くと3日以上の連休は2回、2連休は12回だった。
細切れの72日より連続した72時間の方がのびのびできることを知り、早速今年も一つ賢くなった。今年は100日くらい休むことを目指したい。
あまりに働くので体力があるんだねと言われることもあるが、必要に駆られて無理やり体を動かしたり惰性で続けているものなのでいいものではない。崖から身を投げ出して重力のままに落下することを「飛ぶのが上手い」と言わないのと同じだ。
そりゃあ体も心もボロボロになるわと思いながら今日は暖かい部屋で紅茶にはちみつ酒を注いで飲んでいる。アルコールに強いとはいえ次の日に仕事があると気軽に飲めないからね、酒。
ここ数日の私は謳歌とか満喫という言葉の体現だ。休みはいい。
朝も、昼も、夜も、全てが私の時間だ。いついつまでに電車に乗らなければ遅刻するなんてことはなく、ご飯を食べた後モニターの前に戻る必要もない。エアコンの駆動音が一番騒がしい部屋の中でゲームをしたり文字を書いたりできる。
トーストを焼く時間があり、皿を洗う時間がある。
ずっと休みだったらいいのにな。
手帳に100のやりたいことを書く。私の場合は買い替えたいものや会いたい人、行きたい場所でそこそこ埋まるのだが、上記の通り時間がなく、時間をはたいて稼いだお金さえ自由に使えないものが大半のため、願望はずっとずっと達成されないまま翌年に繰り越されてばかりであった。2026年こそはなんとかなりそうな光明が見えてきたが、それが幻となるかは今後の私次第だろう。
今年はどんな一年に「しようか」という表現は些か傲慢ではないか、といつも思う。まるで人間は己の力で運命をコントロールできると言わんばかりだ。どんなに舵取りをした気になっても、実現可能性を上げるための努力をしても、パンデミックで学校に行けなくなり、音楽も演劇も消えたあの日々、その経験を世界中と共有した気になったのは私だけなのか。
目標を持つのは進む方向性を定めるという点において非常に重要だ、しかし道は一つではない。その道から逸れたらおしまいなんてこともない。
挫折を経験してこそ学べることもあった。非常に備え、固執し過ぎず、今を楽しみながら自分にできることに手をつけて行く。目標は小さく持って積み重ねて行く方が修正が効きやすい。
絵に描いた餅にならないよう気をつけたい。
あっ
餅、まだ食べてない。今年の一つ目の目標にしよう。