急な変化に衝撃を受ける
こんなとき、何を着たらいいかわからないの
後半に入って急に寒くなったタイミングで、うっかりそれまでの感覚のままの服装でパーソナルに向かってからしばらく、身体がまるで動かなくなった。
よく考えたら、その前も台風が来ているのをすっかり忘れて薄着で洗車に向かい、全身うっすら濡れた状態で「寒くて死んでしまう」と言いながら始めていく屋外コーヒースタンドで常連に混ざって30分過ごす、みたいなことをしてしまっていた。
それからもしばらく、去年の自分が何を着ていたか全くわからないまま過ごした。
ある日、天啓がおりたのでクローゼットを開けたところ、綿入れ半纏と毛糸の靴下、そして中綿入りのジャケットを発見した。
すごい!財宝はここにあったのだ!!
おそらく来年の私も同じことをするので、ここに書き残しておくこととする。
寒くなったらクローゼットを開きなさい。押入れじゃなくて。クローゼットです。
なんか走ったら走れるようになってた
9月末に所属しているジムのプロ選手のタイトルマッチがあり、結果が燦々たるものだったところから、会長が「やっぱりランニングが大事」と言い出し、なぜかキッズクラスの小学生たちと私が走ることになった。
もちろん拒否すればいいだけの話なのだが、確かにランニングの重要性は私も常々感じていたため、ここが観念のしどころか……?と受容の方向へ流れてしまい……。
いやだって、これまでも何度か、走れと言われて走ったことはあるんですよ。でも膝は痛いし息は切れるし、3キロくらいでもうしんどくて。
それでも3キロ走れるってすごいじゃないか!と、走れと言ってきたタイ人の先生にドヤったところ「Fitness.」と一笑に付され、何が悪いんだよバーカ!!と不貞腐れて辞めたのが最後。
でも走った方がいいし走れた方がいいのはわかってるし、何より走れるといいなあという気持ちはあるわけで。ウマ娘の曲聞いてると走りたくなるよ本当に。
で、一念発起して走ってみたわけだ。
そしたらびっくり、5キロくらい平気で走れてしまって。
最終的に足の裏が突っ張りはじめたのでそこまでにしたんだけども、息も大して乱れていないし、何よりそこまではかなり軽快に走れていて、本当にびっくりした。
つま先で蹴って着地するだけで前に進んで、この距離を走れたことなんて、今までの人生でなかった。そもそも前向いて走るのが人生で初めてだったかもしれない。
すごく衝撃で、そしてものすごい爽快だった。
それから週2〜3くらいの頻度で、4〜6キロくらいを走るようにしている。
不思議なもので、走っていくうちに速くなるようでApple Watchがちょくちょく「速度記録更新!」と通知をよこす。これがまた達成感がある。
走ると身体が気持ちいいし、淡々と走ると頭の中もスッキリする。
私は日がな一日何かしらの考えことが脳みその大部分を占めているのだけど、走っていると散発的な横の広がりではなくかなり縦に近い斜め方向の思考の進み方になる感覚があり、急に『解』にたどり着いたりする。
多分血流が回っているからなのから走ることにリソースを取られて無駄な思考が削れているからなのかはわからない。
でもとにかく、「ユリーカ!」状態になることが多々ある。
しばらく熱中症に気をつけなくてもいいだろうから、このまま習慣にできたら嬉しい。
ちなみに、小学生と走るのはなくなった。日没が早くなったことで安全のためにランニング自体がなくなったのだ。
もしやるとしたら春だそうなので、その時には大人の脚力というものを見せつけられたら嬉しい。
結局アナログ回帰
本、おもろい。紙の本、読みやすい。
久々に小説を読んで衝撃を受ける。
ダガー賞受賞式のニュースで、式の合間に紙タバコをふかす著者の姿と受賞作のあらすじに衝撃を受け、上記の体調が良くなった期間に『ババヤガの夜』を読んだ。
これがまあ、めちゃくちゃ面白くて。
プロが書いた文章、読みやすい!!面白い!!悪意を撒き散らしてドーパミンを刺激するような文言で満たされてない!!
と気がつき、なんもやる気にならないからとSNS見るなら、なんでもいいから本読んだ方がマシや!と、その日のうちに気になる本を片っ端から図書館で予約した。
放送大学一学期の間は、文献はなるべくちゃんと読まねば、という意識が強く、最終的にあらゆる文章にそれが向いて読むコストが釣り上がり、しんどくなって読まなくなってしまっていた。
なので今は、「とりあえず気になるものを斜め読みでもいいから読み散らかして、大事だと思ったら読み返せばいい」というルールにした。
ついでに、Kindleで漫画以外読むのを辞めた。
紙の本が頭に入るとかそういう話ではまるでなく、単純にスマホやデジタル端末で読むと集中できないとほとほと理解したからだ。
スマホで読むと他のアプリをいじりたくなるし、Kindleなどの専用端末で読むと今度はその辺に触れた時に画面が変わってしまってそこで集中が途切れる。
その点、紙の本ならスマホと物理的に距離が取れるし、変なところを触っても支障がない。
なんなら手触りのおかげでいい感じに本に意識を留めておくことができる。
物理的な刺激で意識を留める、というのはどうも私にかなり有効な手段なようで、自動車に乗るとパニックになるのにバイクだと比較的落ち着ける、と言った他の成功例もあったりする。
読んでいるのは小説やらエッセイやら新書やら多岐に渡る。なんでもいい、読めたらいい、面白ければなおいい。座り込んで黙々とそうしていられる時間のなんと幸せなことか!
気がついたら人と会うのも億劫になり、パーソナルが休みなことに託けて、一週間ほど走りに行く以外に運動もせずダラダラ至福の時間を過ごした。
そう、この時の私は、この後に訪れるしっぺ返しのことなんて何も知らずにいたのである……。(ヒント:腰痛)
結局情報カードでええやん
スマホを放置して本を読むようになったことで、何かしらの思いつきはノートか何かに書きつけておく必要が出てきた。
最初はロルバーンスリムダイアリーとか測量野帳とかで試していたのだけど、やっぱりどーーしても持ち歩きに支障が出る。
家でも外でも、どのカバンを持ってても書ける状態になりたい、と望むと、持ち運びを忘れないのは家の鍵だけという私には工夫が必要になる。
それこそ上記のノート類を複数並行運用することも考えたけれど、それだと情報を集めたくなった時に面倒臭い。
で、結局情報カードに戻った。
読んだ本リストも、本から得た着想も、なんかふと思いついた話も、しょうもない萌えネタも、とにかく全部情報カードに書くことにした。
ちなみに整理方法とかはあんまり考えないでとにかく書いてる。せいぜい、書誌情報と本文の引用があるカードを紐づけてるくらい。
ObsidianやNotionでツェッテルカステンライクなものをやろうとしていた時より、はるかに気楽で達成感がある。
なんだかんだ、目に見えてカードが溜まっていくのは楽しい。自分のツイートが誰のものより1番面白く読める私には当然の帰結だったのかもしれない。情報カードはツイート。
過去に読んだ本の情報を書き写していたら「今どき情報カードとか誰が使うんだ?」という自分のメモと出会した。お前だよ。およそ半年にわたる伏線回収であった。
月報形式無理が出てきた。
ちょっと自分を舐めていた。1ヶ月単位だと物事や興味関心の移り変わりが激しすぎてどうにもならない。
週報か、もしくは半月報?を検討する。