放送大学・勉強
AIエディタに手を出す
多くの人々は既に忘却の彼方かもしれないが、ゴールデンウィークを挟んだあたりで、X(旧Twitter)やnoteといったプラットフォーム上で、ObsidianとAIエディタを組み合わせた活用法に関する言及がにわかに増加した。
そこで、4月頃にNotionとObsidianの併用を想定して構築を進めていたノートシステムを、Obsidian単体で運用できるよう再構築することにした。Notionに搭載されているAI機能では力不足を感じ、ノートが散逸するのを防ぎ、束ねるような支援は期待できなかったから。課金しても大した恩恵は得られなさそう。
NotionからエクスポートしたデータをObsidianのVaultで利用可能な形式に整形する作業や、各種テンプレートを構築する際には、AIエディタがとてもとても役立った。
作業を進める中で、世間で話題となっていた「Obsidianに情報を集約し、AIエディタで文章を生成する」という利用法には、私自身はあまり興味を持てないということに気づき、情報収集のフェーズは早々に打ち切ることに。
私的な文章作成をAIに委ねることに、自身が魅力を感じていないと認識できたのは収穫だったかな。
改めて考えると、私が求めていたのは、散在する情報を整理し、俯瞰するためのツールだったはず。情報を散らかすことにかけては自信があるため、そこは自分の役割として、情報の整理を支援してほしいというのが本音である。
保管庫内に存在する類似情報を検索したり、日々の記録から振り返りのためのトピックを抽出したりといった用途で試用してみると、なかなか悪くない感触じゃないですか。
引き続き、この方向性で活用を下がっていく予定。
Cursorの学生向け無料プランが、日本でも早期に提供開始されることを期待。ぬか喜びして損したよほんと。
初めての通信指導
今月の目標として、通信指導の課題を早期に提出することを掲げていたが、宣言通りに取り組むことができた!
今期履修しているのは2科目のみで、講義の進捗状況は、どちらも5回分程度といったところ。
本来であれば、学習範囲を全て終えてから臨むべきだったのだろう。
しかし、提出期間が開始されるや否や、ぱったりと学習の進捗が止まってしまったため、未習部分は残したまま提出することにした。
5月に入って締め切りや試験といった言葉を意識すると、途端に気が重くなった。
昔から試験というものが不得手で、学校の勉強において要点を押さえて理解できたという経験は、ほとんど記憶にない。
通信指導は試験そのものではないが、私の頭の中では、「試験のために学んでいるのではない」という思いと、「試験で評価されなければ意味がない」という思いがぐるぐる回る。
おそるおそる問題に目を通し、意外に理解できていると実感するまでには時間がかかった。無事に提出を終えた際には、長いため息が出た。
この経験を通じて、私が何かを学習する際には、「学ぶとはどういうことか」「学習対象がどのように体系化されているのか」「学習者として、自分はどのように扱われようとしているのか」といった点が自身の中で腑に落ちない限り、不安や居心地の悪さを覚えるのだと理解した。
時間がかかっても丁寧に自分の中でこねくり回すしかない。
読書メモにAIを使う
GPTの月額課金を開始したのを機に、その有効な活用法を模索していた5月。
そんな中、講義のメモにAIを活用しているという情報を得て、読書メモに応用してみることにした。
5月は専門分野の入門書に挑戦していたのだが、春先に読んでいた新書と比較すると、専門用語の数が格段に多く、文章の構成も複雑で、読み進めるのに苦労していた。
メモを取りながら読み進めることにも骨が折れ、何か良い方法はないかと模索していた折に、この活用法を見つけた。
仕組みは単純で、不明な単語を入力すればその意味を提示し、メモと共に文章を入力すれば記録してくれるというもの。
最後にまとめて一つのテキストとして出力されるため、後から見返す際に便利である。
しかしながら、本を読み進めること自体の困難さは相も変わらず、自身の読解力の乏しさに落胆する日々が続いた。それでも、AIの助けを借りることによって、少しずつではあるものの、理解が深まっているという手応えは感じている。たぶん。
健康・セルフケア
久しぶりに減量することにした
3月、4月は、放送大学への入学準備で多忙だったことを言い訳に、つい油断してしまっていた。しかし、生活も落ち着きを取り戻し、そろそろ夏に向けて体を引き締めたいという気持ちが芽生えてきた。
現在の体型に大きな不満はないものの、もう少し全体的に引き締めたいきがしていた。
特に顔周りが気になっており、夏ごろまで絞って髪を短くしようかと考えていた。
しかし、5月下旬に早くも散髪してしまった。
よく考えてみれば、現時点が人生で最もすっきりしている状態だと気づいた。この年齢になると、多少体重が減少したところで、顔周りが劇的に引き締まるわけでもないだろう。
髪を切ってしまった現在、明確な目標はないが、引き続き減量は意識していくつもり。
特に、過度なタンパク質摂取に頼らずとも、バランスの取れた食事で引き締まった体を維持できるのか、自身の体で試してみたい。
肩甲骨が尋常じゃないほど硬いらしい
キックボクシングジムに通い始めて4年半になる。入会当初から「背中の動きが硬い」と指摘され続けていた。その都度、「膝を柔軟に使えると良い」「下半身の強化が重要だ」といった助言を受け、それに従って練習を重ねてきた。私も「そういうものなのだろう」と納得し、熱心に取り組んでいた。
しかし、時が経つにつれて、トレーナーも「何かがおかしい」と感じ始めたようだった。ある日、トレーナーは私に一声かけた後、背中に手を当てて肩甲骨の動きを確認した。すると、「そもそも肩甲骨が全く動いていない」という衝撃的な事実が判明したのだ!
どうやら私の肩甲骨の可動域は、一般的なそれとは著しく異なるらしい。
トレーナーからは「一日10分以上、毎日ストレッチを行うように」と指導され、それ以来、必死にストレッチに取り組んでいる。
しかし、思うように動かすことができず、もしかしたら肩甲骨が身体に備わっていないかのような感覚だ。果たして、この状態から改善される日は来るのだろうか。
生活・毎日・そのほか
誰にも見せない書き物の良さを思い出す
元々、Obsidianで日記を付けていたのだが、一日の終わりにまとめて記述するスタイルが、どうしても長続きしなかった。
そこで、ObsidianのThinoプラグインを活用している人々の話を参考に、ライフログ形式での記録を試みることにした。タイムスタンプを付与し、気軽にメモを残していくというスタイルである。
3日ほど継続しているうちに、これが、かつてTwitterで求めていたことなのだと気づいた。Twitterが好きだと公言すると、どういうわけか「SNS好き」と見なされがちだが、私自身はむしろ「書く」という行為そのものに重きを置いていたように思う。SNS上での他者からの反応や繋がりよりも、自身の脳裏に浮かんだ事柄を、誰の目も意識せずに書き留めていく行為にこそ価値を見出していたわけだ。
自分だけが読む走り書きをObsidianに蓄積していく中で、Twitterを利用していた際には、無意識のうちに他者の視線を気にしていた自分に気づかされた。記述する内容のニュアンスが、明らかに異なっている。この「誰にも見せない書き物」がもたらす自由さと気楽さは、非常に心地よいものだ。当面はこのスタイルを継続していこうと考えている。