文字書きとしての師匠がいる。
短い間在籍していた大学の教授で、本業は小説家だ。
商業的な統計や数的論理を専門とする学部にもかかわらず、「何をしてもいいが、その代わり好きなものを大量に作って提出しろ」という変わったゼミの先生だ。私は好んで学部を選んだわけではなく、本当は比較文化研究とかそういうのをしたかったのでそのゼミに入ることにした。
入るにあたって面談があったのだが、そこで聞かれたことは少なかった。「具体的に何を作りたいか」美術学校の面談のような質問に対し、私は「小説を書くことと、地元の風習の研究をしたい」と答えた。
その年、小説を書きたいと答えたのは私だけだったからか、どんな小説を書くのか、あるいはどんな小説を読むのが好きかなど聞かれた。何を話したか忘れたが、手元のPCにあったいくつかのラフ原稿を見せたとき、先生はいいね、と小さく言った。
「どれも一文目がいい。そして一段落目がすっきりしている。良い文章だ」
お気に召したらしいとしかそのときは思わなかったけど、褒められた記憶というのは残るもので、あれから十年経つがどんな文章を書くときも変わらず心がけている。ここでブログを書くときも同じだ。先生の第一声は未だに私の一部を形作っているのだと改めて思う。