ネタバレの配慮について:調べたものと蛇足

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この話のついでに、調べたら出てきたネタバレについての諸々。

 

わりと論文が検索に引っ掛かって、学問や美学としてネタバレへの姿勢を徹底して研究した人や、それについての見解を述べた人が批評家にもいるんだなぁということに驚いた。

2011年の時点でネタバレは満足度を下げないという研究が出ていたのは前に読んで知ってたんですけど、どうやら日本にも居るらしく、上記でされている研究の反論?指摘?なども出てる。

  

こっちは映画の予告と本編の構造を踏まえたワクワクとネタバレの違い。

以下に関してはオタクで言うところの「考察」だよなぁと思った。真にポジティブな意味を発揮するのは鑑賞後。

映画やゲームに関わらず「ちいかわ」に関しての考察がめっちゃ盛んに行われてるのでたまに読むと楽しい。

 

こちらは映画や漫画ではなく、ゲームの内容をネタバレすることで面白さが変化するのか?という研究。ちょっと別の結果が出たらしい。

スタンリー・フィッシュ(アメリカの文芸評論家、法学家)のミステリー小説に対するネタバレへの見解。

 

以下は間接的なもの。

フィリカルの方は読めていないんですけど「ネタバレは認知コストを下げる効果がある」というのは面白かった。

下げる効果があるということはケースによっては逆にコストを上げる側面もあり、自分が何をネタバレされたら処理に負荷を覚えるのかを分析するのは大事なことのように思う。

個人的に「知りたい」と思った部分に関してはネタバレをされてもまったく問題がない。

ただゲームの隠し要素などの攻略面はもちろん知りたいが、かと言って解き方や答えまでネタバレされるのは嫌だ、なんてアンビバレンスさもある。

死んでほしくないキャラが死んでしまうかどうかはわりと知りたい。映画で犬が死ぬかどうかを検索できるサイトが存在してるけど、たぶんそんな感じ。

「こんなに感情を揺さぶる結末が……!」に関しては微妙かもしれない。例えるならフォンテーヌの魔神任務やらアベンジャーズ:エンドゲームやらを1から10まで説明されるのは微妙。

逆にコストが上がることに関しては、上記で言った「考察(鑑賞後に楽しむネタバレ)」の部分がそうで、そこを自分で理解し、考えて楽しむことも趣味にしているため、鑑賞直後やプレイした直後の余韻に被せるように細かく教えられると困ることがある。

もちろん自分では追えない情報もあるので、後できちんと読むし、結局検索はする。するんだけど、要は今はその時ではない!一旦噛み締めさせてほしい!というだけのものだと思う。

これ余裕無いときしんどい要素なんだよね…そのくせ自分もやってる時があると思うので自戒するポイントだと思った。いい加減ちゃんと黙れるようになっておきたい。

ネタバレが問題なのは、特定の知識を特定の手続きや順序を経て獲得したいと思っている人に対して、そうではない手続きや順序でその知識を与えるという点だろう。これはフィクションにかぎらない(たとえばスポーツの録画鑑賞を楽しみにしている人に結果を伝える)。

上記の教えたがりに関しても「特定の知識を特定の手続きや順序を経て獲得したいと思っている人に対して、そうではない手続きや順序でその知識を与えるという点」という観点でのネタバレはよくないというアプローチと言えそうだ。

結果として望まない仕方で知識を与えられた人にとっては確実に不満なんだけど、それが倫理的あるいは美的になんか悪いことなのかどうかというところで議論がありえるんだと思う

しかしこうして深堀りされてしまうと、てんで善か悪か分からなくなってくる。感情的には不満だが、倫理や美的に悪であるかどうか。私は「悪ではない」と思っているのに、感情面では納得していない部分もある。不合理極まりない。

そんなに深堀りできる観点なんだなこれ。と同時に、研究職とされるひとの視野の広さに驚いた。

 

あと面白いなーと思った理屈。

公開ワークショップ「ネタバレの美学」

無垢の鑑賞テーゼ:ネタバレ接触は、「まっさらな状態での初めて作品鑑賞」という一度きりの大事な鑑賞の可能性を台無しにしてしまう(したがってよろしくない)。

ようするに、「初回」は一度きりしかないのでネタバレ接触によって汚すのはやめましょう、という話だ。

しかし、それでいうと「まだ一度も見ていない状態でネタバレ接触をしたうえで初めて鑑賞する」という経験も一度きりしかありえない。

もうここで笑ってしまった。

ネタバレ接触をせずに初回鑑賞した鑑賞者は、この「鑑賞まえにネタバレをくらったうえで初回鑑賞する」という(たぶん大事な)経験をしていないし、永久にすることができない。

それゆえ、たんに一度きりの経験であるということは、ネタバレ接触ぬきの初回鑑賞のアドバンテージにはならない。ネタバレ接触ぬきの初回鑑賞の重要さを主張するのなら、一度きりであるのとは別の根拠を持ち出す必要がある。あらゆる経験は初めてであり、一度きりであり、その意味で無垢なのだ。

屁理屈とも言えるっちゃ言えるのだが、これはこれで考え方が柔軟でいいな〜と思う。

結局のところは「予期せぬハプニングが起きた時、それを如何に楽しむか」という話な気がしてきた。やっぱりそこには何かしらの哲学があるのかもしれない。

@4nonaka
『その時はそう思っていた』