ちょっとしたお守りみたいなもの

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見ず知らずの他人の善意を疑いそうになったとき、駅前の歩道で貧血で動けなくなったおりに、わざわざ暖かな飲み物を買って渡しに来てくれたひとのこと思い出す。

冬になる前の少し寒い時期で、溌剌とした青年だった。近くでチラシを配っていたので、派遣の仕事中だろうにとても有難かった。

ああいうことがあると人間に後光がさして見える。彼にはずっと元気でいて欲しい。

 

私は貧血だか迷走神経反射だかが発生することがあり、まあまあご迷惑をおかけしているほうの人間だ。

急にそのへんの道やお店で立てなくなって、座れもせずに寝そべって動けなくなったことなども恥ずかしながら何度かある。

素直に説明して心配をさせるのも、あんまりしょっちゅうだと申し訳なさすぎて、ただの寝坊での遅刻のふりをすることもある。下手に感傷や干渉をされるより、その方が勝手に離れてくれて楽だとも思うからだ。

そのくせになにがしか、他人の無償の善意を頂いていて、その度にこの世界も捨てたものでは無いと思っている。

命にかかわることではないと自分でわかっていても、気にかけてくれる誰かがいるのといないのとでは安心感が段違いなので、これが本当にありがたい。

スルーされることもけっこうあるが、まぁそのへんの道端で、見知らぬ一般人が見知らぬ一般人に声をかける勇気というのは、なんかもっと別のエネルギーが要るんじゃないかと思っているので、それもしょうがない。

そのときの感情は重視しない。優しくすると気持ちいいからとかであってくれたらそれでいいし、勇気を振り絞ってくれてるならその勇気にも感謝したい。

店員さんにはスタッフルームで毛布まで用意してもらって寝かせて頂いたり、シンプルに救急車を呼んで頂いたことがあるため、いや、ほんとにお世話になっており……大変申し訳なく……有難く……。

思い返すと去年は初めて救急車に乗ったんだな。

命に別状はないです。なんか気絶してるだけで。

 

世の中公共の場所で加害してくる人間もいるが、ふつうに親切なひとの方がそれより多いのだということを忘れたくない。

たとえばインターネットもそうで、その時は何もされていなくても、過去の記憶がチラついて疑ってしまうことがあったとして、あとあと薄ぼんやりと思い出すのは、どうしたってそういう、ささやかなひとのぬくもりだからだ。それが、そのときの記憶の残滓でしかなかったとしても。

ただただ優しくしてくれたことはありがとうございます、と思っている。名前も知らないみんなへ。

 

可能な限り自分もそうしたい。

@4nonaka
『その時はそう思っていた』