最近埼玉で将棋強豪の人を見てみると、意外と高卒の人が多かった。というのも大学だと東大、早稲田、立命が将棋が強いので、その延長でそこら辺の人たちで強豪の大人が構成されているのかなと思っていたが実はそうではなく、ほとんどが高卒の人だった。うーん、思い込みは良くない。やっぱり明らかに強い人は大学将棋部上がりだ。ただその人たちでも辞めたりしてる人もちらほらいるだろう。ただその人たちでも高卒の人たちに勝てるのはわずかな人しかいない。それでは何故だろうか。おそらく鶏口牛後が関係してくるのではなかろうかと思う。やっぱり小さい組織でもいいので長になって引っ張っていく経験みたいなのは自然といろんな力を引き上げていくのではなかろうかと思う次第であった...(スピリチュアルな感じになっちゃった)
会社などという存在
最近はプログラミングをしていて成果物は一体誰のものということに疑問を持つようになった。もちろん自分が作ったとてそれは自分のものにはならない。私は技術力を提供しているだけでその対価として報酬を受け取っているんだ。そしたら成果物は部長のもの?それとも社長のもの?いやどちらでもない。株主が一番会社で偉いから株主のもの?それも違う。会社のものだ。我々は会社もとよりある意味虚構の人間である法人に労働力を捧げている。人間は法人が生き延びるためにお金を溜め込み成果物を持っている。会社内に溜めている内部留保が過去最高額になったらしい。それはどの人間にも配布されることなく法人がお金を持っている。この世で一番のお金持ちは人間ではなく法人だ。まさかの虚構が俺の成果物を取られるとは。。。やってらんね〜ってなって独立したところで、小さな法人に俺の成果物は取られるのであった。。。無念
経営の気持ちよさ
スポーツが何を提供しているのか。それは色々あると思う。話のネタ、人間がここまでできるんだとい感動...etc。その中でも一番大きいのは勝利体験だと思った。応援しているチームが勝って、その勝利の喜びを多いに味わう。これが醍醐味な人が多いと思う。熱心なサポータはそうなんだと思う。その裏には何が隠れているか。一般的にそういった人は中流以下が多い。労働者階層など。そういった人たちは勝利することが日常生活に無い。彼らは管理され、命令され、決断を下すことができない。そんな中でスポーツの応援は一時的に選手のここがダメなど言い合ったり上流気分を味わうことができる。彼らにとってそれは快感なのだ。
筋に入ると強い
将棋で筋に入ると強い。というか大体定跡通りだと筋に入ることが多いのだが、力戦になると大体読み筋から外れて変な手を指すことが多い。毎日短手数の詰将棋を解いているので、どうか私を全ての筋に入れる超人にしてください。。。