マウントフルネスについて

4tsu
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人間はマウントを取らないと生きていけない。他人と比較しないことが幸福になる要因だと思うが現実でちゃんと他人と比較しない人なんていない。マウント欲求を抑え込むのではなくちゃんと感じて解放することが大事なんだって本らしい。

なんか普段はこんな本を買わないんだけど、買ってしまった。実は自分にも当てはまる部分があると思ったからだ。僕はお金に興味無いや他人と比較しないとか言ってるけど、本当はお金には興味あるしなんやかんや他人と比較してしまう。資本主義社会だからお金を大事にするのは当たり前だろ!そんなの悪くないよ!と思うのだけど、理性的な部分で結局紙クズになるかもしれないし盗られてしまうから知識、経験、技術の方がよっぽど大事だと思ってしまう。しかしお金も大事。トートロジーだ。

マウントについて考えてみたい。マウントとは他人より僕の方が優れているということを遠回しにでも表明することである。それは都会でも田舎でも関係なく起きていた。小学生でも中高年で起きている。もしかしたらこの欲求は普遍的なものなのかもしれない。

僕は将棋が好きだが、それは相手に勝つというマウントの最上級の喜び見たいなものだと思う。だとしたらスポーツや競技プログラミングといった分野も同じようになる。競争して明確に自分の方が優れているという証をみたいというマウント欲求なのかなと思う。

よって僕はマウント欲求が強い方なんだと思う。そりゃ好きなゲームが格闘ゲーム、カードゲーム、将棋、レースゲームだったり全部戦って相手を負かすゲームの時点で気づいておけば良かったのだが、認めたくなった。逆に恋愛シュミレーションゲームやRPGは面白くないと思ってやらなかったりする。ある意味イデオロギーであり色眼鏡を外すことができなかったし認知できなかったのは仕方がないと思う。筆者に感謝だ。

小説は読まないし見るなら格闘技や将棋実況が好きだし音楽は好きだけど昔から好きかと言われればそうでもない。音楽はおじいちゃんになった時に趣味があると良いなと思って始めたのが最初のきっかけで、そこからあまり触らなかったのだが、強いモチベーションになったのはMetalicaのMaster of Papetsだった。しかもYoutubeの音源で聴いてもピンと来なかったのだが友達がギターを弾いている姿を見てかっちょええ〜〜って思ってしまった。もっと抽象化すると身近な人間が好きだし、そんな人たちよりは優れていたいって欲求が強いのかなと思った。その欲求のおかげで成長できている部分はある今までどんな会社に行っても優れた評価をもらっているし小さい箱の中では強いのだと思う。

まぁこうやって裏でコソコソ誰も見ていない記事を書くのも好きだったりする。ストレス発散になるしマウント欲求も満たされる。

なんか知らんけど筆者の言っているマウント欲求を最も満たすためには自分の代表作が必要ってことらしい。なんかそれは今自分が最も作りたいものだったりするのでなんか筆者と同じ意見で自己解決しそうで良かった。

人生をかけて取り組むことがある人が強いんだなと思った。特に作品を作るっていうのはシンプルだしわかりやすい。そしてそれらが広く認知されればもっと良いんだろうけど。

ふと気づいたけどオシャレもある意味マウント見たいなもんじゃないのか。人と違う服を着て俺やばいでしょ見たいな。ヒョエ〜〜〜

@4tsu
しずかに暮らしたい