責め立てたい訳じゃないのに正直に話すと責め立てるニュアンスになることが多すぎる、この世って 聞き心地のよい言葉とおそらくはそうじゃないであろう言葉があるんですけどどっちが良いか選んでもらっていいですか?
(ツイートから引用)
わりと、正直な言葉しか出せない。だから黙ることを覚えようとしている。最近は、昔よりは黙れるようになったが、基本的には口に出さないと気が済まないので、思わずぽんと出ることがある。
他者をもっと慮れないのか。それを言った先にどんな感情になるか予想つかないのか。マジで、ごめんけどつかない。私がそれに耐えられるからだ。正しさは武器だ。それはなんとなく分かっている。でも私は正しい言葉に傷つかない。正しいからだ。正しい言葉は理不尽とは違う。理不尽とは違って直しようがある。だから正しい言葉がむしろ好きだ。
人を見るのが好きかと聞かれたことがある。全然そんなことはない。むしろ苦手だ。他人のことは嫌いだ。みんなまとめて見下している。だから私は自分のことしか見ない。ただ、今までたくさんの自分がいた分、そしてそれらを分析してきた分の、自分への理解がそこにある。それがデータとして他人に当て嵌められることが、比較的多い。それだけの話であって、他人のことは全くと言っていいほど見ていない。再三言うが、他人のことが嫌いだ。他人のことを慮ってやれないのは、目を向けづらいからだ。良いところも悪いところもわかってしまう。あえて見ないことでやり過ごしている。だから他人にとっての強い言葉が出る。
最近はそれを気にする余裕があるので、少しだけ気にしている。他人を不用意に傷つけたくないからだ。第一にめんどくさいという感情があり、第二に綺麗に生きたいからなという目的がある。
ところで私は自分が正しい言葉を言われた時、泣いてしまうことがある。自分の頭の分析が追いつかないだけだから、あんまり気にする必要は無いのだが、他人からは傷ついたように見えるだろう。いや、傷ついてはいる。驚きかもしれない。でも、真面目に話を聞きたい気持ちはずっとそこにある。
問題は涙だ。泣くと面倒だ。一般的には涙は感情の噴出だ。腹立たしい。強い言葉を使うのに自分は使われたくないんだなみたいな理解をされるのがいちばん不快だ。強い言葉を使う分指摘を受ける覚悟はあるのだ。なぜか、望んでもないのに涙が出てしまうだけで。
でも、それはそうだ。私は完璧でありたい。完璧になりたい。自身が矛盾だらけの人間という生命体であることが許せないと常々思っている。
だから、自分が間違っているという事実は受け入れ難いのだろう。受け入れ難いから、涙が出る。でもその分、改善しようとする努力は見せられるようにしている。
いまだに、間違いを許せない。他人のことも、自分のことも、求めるハードルが高いと思う。自覚がある。
私のこれは、過去に傷ついた自分を守るためであるのだと思う。他人を傷つけたくないからと自分の至らぬところは気付ける分だけなおしてきた。その度に傷ついてきた自分が、なんであいつは許されてるんだと思ってしまう。
結局自分がいちばんかわいい。傷つきたくない。でも傷つけたくもない。だから、どうにかして他者を許容できるようにならなくちゃいけない。
どうしたらええねん。
追記
どうしたらええねんでしめたらまるで答えが出てないみたいやんな! 言葉を選びなさいってことくらいは分かってるし知ってるんだけど、言葉を選ぶと伝わらないことが多くて不快なので、言葉を選ぶ必要って何? になってきちゃってるんですよね 段階を踏んで伝えるのもなんだか仰々しいしタイミングがあるじゃない
難しいよね〜〜〜〜