この25年間、宇多田ヒカルの音楽に、宇多田ヒカルの言葉に救われてきたこと数限りない。オールドメディアを通じて、CDを再生して、iTunes経由でiPodで、サブスク時代に至るまでどれだけのものを与えられてきただろう
というビッグLOVEに反比例するように、アリーナやスタジアムといった場で行う宇多田ヒカルの音楽性・本人のキャラ性への相性は最悪だと思っている。え?音源であれだけ仕上げてきて私の人生の中にこれだけのものを与えてきてショーはこの程度なん??もっとイケるやろ宇多田あ!と前ツアーで初生ライブを観た時にそう感じてしまった(今思えば作品である「音源」とショーである「ライブ」とは全く性質の異なる場なので、この帰結も最もなのだがこの2つの関係については長くなるのでまた別の機会に書く
と言うことで2024のツアーは高額に見合ったリターンとはないと妻と判断し見送ったのだがHIKARU UTADA LIVE CHRONICLES in cinemaとして最速で映画館の音響で味わえるとなったので足を運んできたのだが結果
これまで観てきたどの音楽やライブや映画よりもずっとずっと号泣してしまった
見くびってすまん宇多田あ!やはり貴女は神でした
何より自分の中でもビビったのは、宇多田の歌詞や音楽ですらなく、25年を総括したMCが過去一、25年間私が見知った宇多田ヒカルの中でもこの言葉こそが最高だと思えるぐらい、これを聴くためだけに映画館に足を運んでよかったなと感じたこと
望んだものが必ずしも自分にとって良いこととは限らない。
望まなかったことが自分を成長させてくれたり、何かを失っても、
失ったってことは与えられてたんだ、と気付かされたり。
失ったものも、ずっと心の一部になっていたと知ったり。
今書き起こしても涙ぐんでしまうんだけど、私はメンタルがヘラっているので、失ったものを延々と引きずり続けて今に至るのだけれど、失うということを決してポジティブ一辺倒ではなく、受け入れて、かつ肯定するというこの言葉の選び方、かけてほしかった言葉、私たちの人生で必要としていたフレーズを、自分の人生のフィードバックとして他者に与えられる宇多田ヒカルと言う人生が、どれだけ優しくて、どれだけの苦労と苦悩を味わい、またそこから這い上がってきた末のその強さかと思うともう本当に、、、、神だな!って思う(語彙力
苦悩から這い上がってきたと言えば先日足を運んだ「地獄から帰ってきたところ。言っとくけど、素晴らしかったわ」のルイーズ・ブルジョワと親和するものがあり、彼女は彫刻であり、宇多田は音楽を自己を表現・昇華する対象に選んだ。その上で、2人ともその言葉の数々には人を惹きつけてやまない、人生に対する慈愛と苦しみが入り混じった感情が吐露されている、、、そしてそれは彼女たち女性ならではの、女性しかできない人生の向き合い方だと思う
そうだ。私が宇多田ヒカルに共感し愛するのは音楽だけでも言葉だけでもない。宇多田ヒカルの生き様それ自身だったんだと知る25周年でした
宇多田ヒカル、一生愛します!
※行く予定なかったのでツアー初日に速攻セトリのネタバレ解禁してそれこそ私が20年以上人生の礎としてきたまさかのまさかのまさかのDISTANCE(m-flo Remix)が解禁されてぐわああああああああああと当時なってたんだけど、結果的にこの年末に劇場で観れていろいろよかったでした