私は人を殺したい願望と正気の狭間で戦っています。
どうしてそうしたいのか
初めての衝動は小学校高学年の頃です。ずっとパパとママの仲が悪くて
パパはそのストレスの捌け口に私を馬乗りで殴ってくる。
ママは私の話を聞いてくれない。学校で私はいじめられててアザを作ってきても
だからせめて家では仲良くしてほしかった。
だから幼い私は手を切り取って、手だけでも繋がせたかった。
そしてパパの怒鳴ってる声も殴られる痛みもママの何も話さず向けてくる冷たい目線も何も無い
私だけの夢に描いた様な幸せな光景が手に出来るなら…と今でも思うのです。
もうパパには着拒されて何処にいるかもわからないけどそばにいてほしいのです。
私のパパは、他に元々家庭があって、私は隠し子です。
大人になったら認知すると言ったのに、大人になった時にはすでに着拒されてました
だからきっと愛着障害なのでしょう。言葉で説明するのも難しいのですが私はこういった欲求と理性が戦っている世界で生きてます。
そしてもう一つの欲求
それは私を物扱いしてきた男性を「逆に」物にしたら、どんな気持ちに、どんな感覚になるのか肌で魂で感じたい。
元々父には物扱いされて育ちました。
でも私は中二の冬、学校の先輩にレイプをされました。カラオケボックスで、とっても痛かったのだけ覚えてます。
それで破瓜しました。そこから私はどの男性に巡り会っても都合の良い道具にしか扱われてきませんでした。
そこで転機が訪れたのです!元反社の男性がシリアルキラー予備軍だった様で私の首に突然ナイフを向けてきました
そこで私は気が済むまで笑って「殺していいよ」と言いました。
そしたら峰で首をなぞられて終わりました、がっかり…
そうやって物扱いされ続けられて、本当に愛される感覚はわからないしどうしたら愛されるのかもわからないのです。
でも、物でも幸せでした。物でも大切にされて幸せでした。だから次は私が幸せをお返しする番
こんな私でも幸せを感じたのだから、みんな物にされても幸せなはずです!!
そして物扱いする人は私の幸せを体感して、私は物扱いする感覚を骨の髄まで味わえるのです。
この欲求とも戦いながら生きて正直疲れました。
さっさと刃を振るえば楽になって幸せになれるのです。
でも私はとある人に最悪なことをされて「幸せになってね」と手を握られてから幸せになってはいけない気がして
だから何も出来ないのです。何もね。
敢えてすることと言えば合意を得て相手が自傷した傷から血を飲むことくらい。
そうするとなんだか気持ちがデパスより落ち着いて元気になって冷静に、理性的に物事が見れます。
今日も私は生きてます。生きていてごめんなさい。