ワクワクインターネッツの郊外(2024/3/13)

6o_o9
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ついにやってきたぞ。この長閑な湖畔へ。前から気になってはいたんだけれど、なかなか良い場所だな。本当にしずかだ。実は元から「日記や考えを誰かに共有する」という行為に憧れはあって、例えばそれはnoteであったり、はてなブログであったり、媒体は色々あると思うんだけど、とにかくやってみたい気持ちはあった。だけれど、それを行動に移せるほどの胆力を持ち合わせていない。始めるにしてもいくつかの懸念点があった。まぁまず書く人は皆んな文章力が高い。カンストしている。輝いている。常に「伝える」文章で書き続けている。要は、それらの媒体が持つブランド力や雰囲気に怖気付いているってことになるのかも。そんな高尚で素晴らしい文字書きさんたちの集う場所へ迂闊には飛び込んでいけない、私の駄文があそこに置かれるのかと思うと震えてしまう、解釈違いだ、という不安が先行している。良くない固定観念なのはわかっている。いつもの私の悪い癖だ。いつかは治したい。でも今はまだ、もっと落ち着いた場所の方がいいなあって。万年ビビりの私は思うわけです。次に、かなりオープンな場であること。記事のリンクを押せば、会員登録の有無に関わらず誰でもアクセス出来て読めてしまう。しかも、場合によっては想定しない怖い反応や数値と絡んでくる可能性もなくはない。それは結果的に、読みにくくて下手くそな文章を書いてはならないいう焦りにも繋がるだろう。まぁ、多くの知らん人に読まれる書き手さんはほんの一握りだろうが…。だとしても私は自意識がまだまだ過剰な人間なので、その万が一が頭から消えない。誰かと共有したいという気持ちは勿論あるが、それは名もしれない誰かと共有したいというところを意味しているわけではない。出来ればこう、ある程度私の素性を把握している人がいい。それができれば十分。ほんで、色々考えた結果、①人の目を気にせず思いのまま文章を書き散らせる②システム上閲覧出来る人を知り合いレベルにまで限定できる、という2点が実現出来そうなこの「しずかなインターネット」さんを選んだ。こんなプライドだけが肥大化してしまった情けない陰の者にとても優しい場所だ。ありがとう……。インターネットの片隅で生きる…。前置きが長くなりすぎた。まぁとにかくヘンテコなことを書き続ける場所になるということです。心の凪が落ち着かない時や、Twitterで投稿するには冗漫すぎる文章を書きたい時は、ここに来ます。日記でも感想でも考えでもお気持ちでも少しパーソナルなことでも。とにかく長くてTwitterではまとまらなさそうなことを雑多に。要約すると取るに足らない何かを書きに来るという訳ですね。使用頻度や文の長さは気にせず気の向いたタイミングで、あまり頭を使わずに、適当に、ぼちぼちやっていくぞ。

じゃあ早速、最近の写真も載せる。どうやら写真も掲載出来るらしい。便利だねえ。下に貼ったのは夢の大橋から撮ったビル群。お台場のエントランスみたいな感じにもなっているのだが、先日、合説行った時に寄り道した場所である。まず、合説の話をほんのちょっとだけさせて欲しい。あんね、ただただシンプルに辛かったわ。そもそもの当日の寒さと同級生達のキラキラな覇気(でもマジでえらい…!)でダブルパンチされ、弱い私はすぐめげてしょげて泣きそうになった。就活は、自分をがんこちゃんだと錯覚してこれから頑張ろうと意気込んでいたんだけれど、ダメだったね。諦めだけは早い。だから、しょもしょもしてしまった私へのささやかな報酬。それは散歩。単純なもんで、足や気持ちは疲れていても、隣の地へ一歩踏み出しただけでかなりウキウキしてくる。歓喜のアドレナリンで一時的に疲労感を拭える。特に少し地元から遠い場所に就活で赴いた時はいつも気ままに歩いている。ある時は横浜の面接会場から中華街・赤レンガ周辺をパンプスで合計20km歩き続け、またある時は柏の会社からかつての故郷野田に移り日も落ちるのを忘れ歩き続けた。こちらは少しTwitterにも書いたので省略。今回もこの周辺探索だけを楽しみに何とかビックサイトに辿り着いたのだ。主たる目的を見失わないよう、とりあえず数社は訪問し、企業のカラフルなショッパーをぶら下げてふらふらになりながら合説を後にした。そしてその足でそのまま見かけ上目と鼻の先に見えたお台場を目指しのんびり歩いた。それにしても、ビックサイトとお台場、こんな近い位置関係にあったんだ。普通に驚いた。あと、今なにかと話題のイマーシブフォートもこの港町にあるとは知らなかった。建物の階段を登って耳を澄ますと、盛大で華やかなクラシック?がかすかに扉の外へ漏れ出ていた。今度、ゆっくりお台場観光する時、私も何かの登場人物になってみようかな。でも、一人だと流石に虚しくなりそうだから、誰か誘うか。ゆる募。

↑お台場だって前置きしないと、どこか検討もつかないくらい地味な写真になっちゃったな……写真、地味に楽しく感じるので腕を磨いていきたい。カメラ買うか……

日記、とりあえずこんなもんか。…これでいいもんだろうか。あまりにも適当すぎる。何より、こういう無気力でより口語的な書き方って、文章を書くという地力がないといつも以上に痛々しさが滲み出てしまう気がする。でも、中世を生きた先人達とは違って、現代における日記とは読み手を想定しない独りよがりなツールなのだから。そうやって日本語史の授業で習ったもん。だからいっかこんなもんで。無理に見栄張ろうとしても疲れちゃうもんな。まあ、読み手を想定しないと言っておきながら、一応、Twitterのフォロワーさんには開示しとくけどね。仲の良い(と思っている)人に自己顕示欲剥き出しで突進するのって気持ちいいからね。仕方ないね。文に起こすと最悪だな。

気の向いた時にまた書きに来る。次来る時はいつになるかな。意外と明日書きに来るかもしれないし、存在そのものを忘れ数年経ってしまうかもしれない。どうなるかはわからないけど、今のところは、気まぐれ三日坊主を前提としただらだら記録にしていきたいと思っている。自分の気持ちを正直に書き綴ることへのリハビリも兼ねて。

以上

@6o_o9
6o_o9と書いて「ろくおく」と読む。話し下手、聞き下手、おまけに書き下手。でも、何か書きたい気持ちがごく稀に湧くからなんとなくで書いている。それだけ。