最近、私の職場の事業所で、インスタグラムを始めた。正直、インスタグラムは個人的に得意ではなくて(写真というのが苦手だったりする)、全然やってこなかったので、突然することになり、少し戸惑っている。
だけど、実際に初めてみると、なんとなく流行った理由がわかるような気もしてくるんだよね。何気ない日常がいわゆる「それっぽく」見える不思議。それだけでなく、視覚的な情報ってとても入りやすいから、一瞬でダイレクトに理解できる良さ。一々考えなくてもいい。
だけど、やっぱりどこか入り込めない部分もあって、自分の中でなんでだろうってちょっとだけ考えていたんだけど、やっぱり私はどこまでも「文章」が好きなんだなってふと思った。
先日、夫と話をしていたときに、話が噛み合わなくて、これは何故噛み合わないのかということを議論していたのだけど、私はどうやら「人から聞いた言葉を自分の言葉に置き換えたい」のと「頭の思考回路が早くて、話を聞き終える前に答えを出してしまうから」が合わさってしまっているみたい。
そのことも思い出して、こう、脳を働かせるのが私は好きなんだな、っていう解釈をしている。特に「相手の発した言葉を自分の言葉に置き換えたい」というのは本当に的を得ている。そういうの大好き。でも、それは治さないといけないところ。
でも、話すときには不利なことでも、それが文章として残す場合なら、自分の言葉で置き換えて伝えるというのは、有効な方法だと思うんだよね。だからこそ、私の言葉を存分に散らして、文章を書きたい。それなら、相手に迷惑をかけることもないし、いろんな解釈をしてもらえる。
ここでインスタグラムの話に戻るけど、私は解釈の余地とか余白が多いコンテンツが好きなのかな、とも気づいたりする。さっき、インスタグラムは一瞬で理解できる良さがあると書いたけど、多分それは、私に対しては少しデメリットになってしまうのかもしれない。
なんていうのかな、何も考えないのってちょっと刺激が足りないっていうのかな。その一つのコンテンツで、どこまで脳を動かせられるかに、私は勝負を挑んでいるのかも。
そうなると、自分の好きなバンドやアーティストの歌詞は、ダイレクトに言いたいことが伝わるのではなくて、正直何を伝えたいのかわからないところも多いな、とか、小説でも明確にテーマがあるよりは、少し考察できたり、全ての謎を回収してない方が好きだな、とか、色々見えてくる。
インスタグラムをするだけでこんなに気づきがあるって面白いよね。