今日は、おじいちゃんの家に挨拶に行ってきた。このおじいちゃんというのは、先日書いたふるさとのおじいちゃんではなくて、育った街の近くのおじいちゃんのお家の方。
昨年はいろいろあって何度も顔を合わせていたから、あんまり久々な感じはしなくて、気軽に顔を出せた。久々になればなるほど、緊張したりするんだけど、今回は何だか当たり前に帰ってきた。
おじいちゃんは昨年米寿になり、今年で89歳なんだけど、今のところは元気。おばあちゃんも80代半ばに差し掛かるとは思えないくらいに元気で、自分が歳をとったことを忘れるくらいに昔と同じように過ごしてきた。
だけど、やっぱり自分も社会に出ていろいろと身につけたんだな、と思うこともあって、おばあちゃんの話を聞いている最中に、母さんや叔母さん、父さんが話し始めると、おばあちゃんの話が途中になってしまうのがどうしても気になってしまったり、誰かの些細な言葉がけに「ん?」と引っかかってしまったりする。
それは多分、仕事で日常的に誰かに発せられる言葉や態度に自分が敏感になっている証拠だし、それは誰かが不快な思いをしないでほしいから、なんだよな。でも、それって私のエゴであって、それが不快な思いを本人がするかどうかは自分の物差しでは測れないことじゃないか?とも思ったりする。
このことについては、常日頃から悩んでいることだから自分の中ではもう当たり前になりつつあることなんだけど、家族との水入らずの時間でそこまで考えちゃうと、それはそれでちょっとマズいなあ、と焦っている。せめて家族との時間では、そんなこと忘れて自分らしく過ごせたらいいのに、と思うんだけど、そうなると、今度は自分らしく過ごすってなんだ?って思考回路になる。
とにかく、私は考えるのが好きで、こうやって堂々巡りをするのが楽しいんだろうな。私の脳みそは多分マグロと一緒で、何かを考えておかないと落ち着かないんだと思う。どっちかっていうと頭より体を動かして、いろんな経験をした方が自分のためになりそうな気もするんだけどね。
ま、ややこしい話はここまでにして、おじいちゃんの話。久々のおじいちゃんの家は楽しかった。家族団欒が大事って言われる理由がわかるよね。有意義な時間で、また近いうちに遊びに行けたらいいなと思っている。