あと少しで2023年が終わる。次の朝日を浴びる時には、もう2024年になっている。そう思うと、まだ少しだけ時間があるから、今年の思いを全てここに書き散らして、明日に進むことにした。真っさらな自分で明日を迎えられるように。
先日、年末恒例の今年の漢字の話題が職場で出た時に、「ナツミさんの今年の漢字は?」と聞かれたことがあったのだけど、何も考える余地なく「別」だと答えた。当たり前のようにこの漢字を選んだ。
ここの日記でもよく触れているけど、私は今年の夏、妹を見送った。
見送ったと書くと、予め予測していたようなニュアンスが含まれると思うんだけど、実際は本当に急なことでした。前日、体調を崩したと母から連絡があり、次の日の明け方にはもう、この世を去りました。
父から「あかんかった」と連絡をもらった時、私の中では二つの気持ちがあった。「何で?何でこんなに早く逝ってしまったん?」という気持ちと、「楽になれてよかったな」って気持ち。相反する気持ち。だからこそ、自分を責めた。悲しみが100%じゃない自分は、冷たい心の持ち主なのではないかと、そんな気がして。
だけど、お葬式の時に心の中に浮かんだのは、やっぱり「よく頑張ったね、この生きにくい世の中でよくここまで生きてきたね、これからは楽になって存分に羽を伸ばして」って思った。「100点満点の人生だったよ、お疲れさま!」って気持ちが出てきた。ちょっとだけ、羨ましいと思った。
それは少なからず、妹の人生を隣で見てきて、日々精一杯生きていた妹の姿を無意識に感じていたからだったと思うんだよね。だからこそ、人より短い一生だったのかもしれない。倍速で生きてきたのかもしれない。
そう考えるとさ、気づいちゃうんだよね、「私はそんなに精一杯生きてるか?」「またそのうちチャンスがあるし、今回はいいやって何でも後回しにしてなかった?」「何をするにもうだうだ考えて時間だけ使って、結局何もしないことばかりじゃなかった?」「だから今、妹にもっとこうしておけばよかった、一緒にあの場所に行きたかった、とか後悔の気持ちしかないんじゃないの?」って。
そうなると、もう情けなくてさ。こんなぼーっとした人間がまだ生きていてさ、この世に残されているんだよ。「お前、全力で生きてないだろ、それでいて生きるのに疲れたってほざくなよ」って言われている気がしてきて。
だから、こんな情けない日々を送るのはもうやめることにした。妹がきっと空から見てくれていると思うから、妹に「お姉ちゃん、すごいね!頑張ってる」って笑ってもらえるように、頑張ることにした。
これは、身近な人を亡くした人はわかることだと思うんだけど、どんな時でも、故人に対しての後悔って付きまとうんだよね、私は後悔の念が大きいから、きっと死ぬまで忘れられないし、付きまとうような気がしている。
だからこそ、これからの人生、どんなことでも後悔しないように生きることにした。どんな小さなことでも、その時にできることをしておかなかった自分を、もう責めたくない。
人間って本当に変わろうと思ったら変われるんだよね、最近は迷うような状況になったら「どうしたら後悔しなくて済むんだろう?」って思うようになったもん。買い物一つにしてもね。あれだけうじうじ生きてた自分とは思えない。
そのくらいに、人との別れって影響を及ぼすんだなってことを痛感しているから、「別」を選んだのかな、と思っている。
妹との別れは、今までの人生で1番辛い出来事だったけど、それをただの感想だけにしたくない。妹がくれたことを、私が引き継いで、全力で繋いでいこうと思う。それが、来年の抱負。
2024年に妹はいない。妹は2023年にずっと居続ける。私だけ、先に進む。だけど、大丈夫。ちゃんと生きていくから。前を向いていくから、毎日空を見上げるから。
さよなら、2023年。大きな気づきをありがとう。