かばん 2024年1月号評

夏山栞
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「風つよ」と笑えば風はまた吹いて順方向に時も流れる / 生田亜々子

冬、親しいふたりで歩くシーンを想像した。北風がびゅっと吹いて、主体たちは肩をすくめて「風つよ」と笑い合う。それに呼応するように風がまた吹く。寒い季節の中、「順方向」の景が明るい。

「風は」「時も」という助詞のチョイスがいいなと感じた(たとえば、「風が」「時は」だったらちょっと陳腐な印象を持ってしまうかも)。「時も」とすることで、向かい風ではなく追い風なのだという歌全体の明るさの補強にもなっている。

バースデー・ソングを歌われて上手く微笑めない人よ、おめでとう / 伊藤汰玖

気恥ずかしいのか、自分を祝うことができない何かを持つのか、あるいはサプライズ演出みたいなことをされて嫌だったのか……「上手く微笑めない人」の背景を色々と想像することはできるけれど、そのいずれをも包含する「おめでとう」の結句がやさしい。

私が何かというとひらがなに開きたくなる手癖をしているので、「上手く」「微笑む」「人」あたりを連続漢字で通すところにおおー、そっかーと思った。そのおかげで客観的というか観察的というか、歌の印象がウエットに寄りすぎなくてバランスがいいなと。

天の手に組み立てられて薔薇 どんな比喩も負わないときうつくしい / 佐藤弓生

薔薇は、まさに古今東西さまざまな比喩に(中でも、特に美しさを形容する際に)引き合いに出される花だろう。同時に、薔薇自身の美しさを表現するためにさまざまな比喩を受ける側の立場でもあるはずだ。

薔薇の花びら一枚一枚のあの精巧な感じは、確かに「組み立てられ」たものだと言われると納得感がある。天の思し召しによって組み立てられて、ただそこに在る状態が美しいのだ。そこにごちゃごちゃと言葉を与えるのが人間の性であはるのだけど……その人間たちすら「天の手に組み立てられ」た存在で、あの人は○○な人だから……などといった比喩を「負わないときうつくしい」のかもしれない。マクロな視点で真理を見ようとする歌、好きだな~。

天空を渡るを見ればしみじみと人はだれでも死ねば白鳥 / 松本遊

冬の空をすうっと渡っていく白鳥の雄大で美しい景と、死に思いを馳せる心理描写の呼応が気持ちよい歌だと感じた。体言止めの潔さが好き。

死について考える歌は本当にたくさんあると思うのだけど、「人はだれでも死ねば白鳥」という下句に心を撃ち抜かれた。この下句をどんなニュアンスで読むかは人によって分かれそうな気がするな……。私は、どんな人でも「死ねば白鳥」なのだとしたら、それはある種の救いだよなあと感じた。色んな人の読みを聞いてみたい歌。

きみがすべての洞窟で守っているすべての毛むくじゃらを愛する / 湯島はじめ

「守る」「毛むくじゃら」から連想されるのは、犬や猫などの庇護対象となるような動物、そこから連想してそれは人それぞれにあるやわらかな深層のようなもので……のように読んだのだけど、そう読んでしまうとなんだか違いそうな不思議さが心に残った。

人の中にあるやわらかな部分を洞窟で喩えるのなら、一般的にはひとりにつきひとつの洞窟、そこに一匹の「毛むくじゃら」が居る、とするのが自然な気がする。が、「きみ」は「すべての洞窟」で「すべての毛むくじゃら」を守っているのだという。もし読みを変えずにいくならば、人はそれぞれその内側に、数え切れないほどの洞窟を持っているということ。なんだかそれっていいな、そうなのかもな、と自然に思えた。ふとした時に思い出しそうな歌。

@72tone
歌人集団かばんの会所属。短歌の話やそうでもない話。