どこで聞いたんだったかな、「私以外は全員猫を飼っているのに、私だけが猫を飼っていない!」みたいな喩え。
SNSってそういう側面あるよね、という教訓だと思うんだけど、「私だけが猫を飼っていない」というフレーズのコミカルさと切実さのバランスがなんか””詩””だなあ、好きだなあ、と思った記憶が不意に蘇った。
わたしはそういうとき、わりと「じゃあ私も猫を飼う!そのために必要なものを全部がんばって準備しよう!」という生き方をしてきたタイプなのだけど(ベースの環境に恵まれていたという話)、なんか近ごろは世の中的にもそれはちょっと……なムードだったり、自分的にも割とそうだよなあと思ったり(何より体調が悪くて馬力の出ない日が多い)で、だけど私は!いま手元に猫がいないことが!猫を手に入れるためのリソースを割けないことが!この上なく苦痛!みたいに荒れる夜がままある。
世に言う「足るを知る」とか「持ってるものに目を向ける」とか。
そこに至る受容の過程を行く最中なんだろうけど、己を深掘りするとその目的地周辺に「ああはなりたくない具体像」が近接していたりもして、今はそこを迂回したいあまり傍から見るとよくわかんないルートを取ってるんだろうなあという感じもする。抽象的な話になってきた。
なお、うちにいる実体の猫は今枕元でウトウトしている。抽象をこね回した後に見る猫、なんか>>>真理<<<って感じある。こんなに身体を捨てたくてたまらないのに、結局実存することでしか解決できないのか。猫、いるな~。